朝鮮の農民・庶民による東学党の乱(1894~1895年)が激化すると、朝鮮政府は清国に援軍を求めた。この清国軍の派兵に対して、日本は邦人保護を理由に朝鮮に軍隊を派遣する。これには朝鮮の独立を支援する面もあった。
朝鮮政府は、自国の中で清国軍と日本軍がにらみ合う状況を解消しようと、反乱勢力と話をつけて事態を沈静化させ、日清両軍に撤兵を求めた。朝鮮政府は、清国がいわば宗主国である以上、日本が撤兵したあとに清国が撤兵する形にしたかった。しかし、清国は撤兵する気がなかったし、日本は清国から独立した朝鮮と新たな関係を作っていこうと考えていた。
日本も清国も朝鮮の内政に干渉し続けようとした。だから清国は「日本が撤兵しろ」、日本は「清国が撤兵しろ」と両者が譲らない。この撤兵をめぐる争いが戦争に発展した。
■開戦理由、建前と本音
日清戦争の始め方はどうだったか。当時の日本には二つの開戦理由があった。邦人保護は単なる建前に過ぎない。
理由の一つは、朝鮮は清国と手を切って独立・近代化すべきだ、それを日本が助けるために戦うというもの。清国はもちろん、朝鮮の支配権力はこれを徹底的に拒否していたが、日本には、朝鮮の中に理解する人たちが出るようなきちんとした言い方で主張し、朝鮮の独立・近代化派を支援する政治勢力もあった。
もう一つは、山縣有朋が言う「利益線を確保する」形で朝鮮を押さえるために戦うというもの。これは明治初期の「征韓論」を引きずっている。征韓論は朝鮮の外交的非礼をきっかけに高まるが、その背景には、武士階級が崩壊していく中で、士族に何か仕事をさせなければいけない、カネをやらなければいけない事情があった。西南戦争後の明治11年には「竹橋騒動」もあった。薩長の下級武士で作られた近衛砲兵隊が、せっかく西郷軍と戦って勝ったのに何の見返りもないと暴動を起こして、約360人が処罰された。明治政府は財政的に豊かではなく、兵隊に満足なカネを配ることができない。だから謀略を使ってでも戦争を起こし、朝鮮を支配してカネを稼ごうとする。
日本は結局、二つ目の利益線の確保という理由によって日清戦争を始めた。