アメリカは米海軍の施設があるポーツマスに日露両国の代表を呼び、講和交渉の席に着かせる。この段階では日本のほうが軍事的には勝っていた。ただしその勝ちは、いわば映写機のフィルムをある時点で止めたから勝ちとスクリーンに映っているだけだ。
戦争がもっと長引いて、ロシア国内が一致団結し、戦闘力をフルに発揮して日本と対抗したら、ロシアの国力が弱まっていたとはいえ、日本はかなわなかったはずだ。
つまり、日露戦争は日本が勝ったとされているが、じつはアメリカが日本を助けてくれた戦争だった。日本もロシアも疲弊していたが、とりわけ日本は講和交渉の数カ月前からいわば限界点に達しながら戦っていた。日本は、日露戦争を痛み分けの形で終わらせようとしたアメリカに救われた。
日露戦争はロシア国内でロマノフ王朝の独裁に対する反感が高まり、革命勢力がかなり浸透してきて、ロシアの国力が疲弊している時に起こった。崩壊寸前の清王朝と戦った日清戦争と、状況は似ている。それでも西洋列強は原価計算を考えてロシアに直接手を出さなかった。これも日清戦争と似ている。
また、なぜアメリカは日本を助けたのか。一言で言えば、アジア進出の足掛かりにするためだ。先に述べた「新しい形の帝国主義」を実行したに過ぎないし、三国干渉の亜流に見える。
このように終結のプロセスを簡単に見直すだけでも、日露戦争は「本当は負けていた」と言えるのだ。
■妥当性なき二百三高地の犠牲
開戦前夜の日英同盟にしろ終戦時のアメリカの仲介にしろ、日露戦争にも日清戦争と同じく、西洋列強の帝国主義の残酷さ、計算高さ、強い国家エゴを見ることができる。日本はそれに利用されながら、その一つと戦い、世界中の植民地にいわば勇気を与えた。
しかし日本も結局、先進帝国主義国と同じように、残酷な国家エゴ丸出しの道を歩むことになる。
戦闘のプロセスも点検しておこう。戦場の勝利で有名なのは、地上戦では乃木希典(まれすけ)が率いた二百三高地の奪取(旅順攻囲戦)。海上戦では東郷平八郎が率いた連合艦隊の日本海海戦だろう。