83年入団のレジー・スミスは、アフロヘア、口ひげがトレードマーク。巨人応援団の応援歌は「上から読んでもスミス、下から読んでもスミス、どこから読んでもスミス」。メジャー通算2020安打、314本塁打。原辰徳(現・巨人監督)と打線の中核を担った。83年28本塁打、72打点。西武と死闘を演じた83年の日本シリーズでは、第3戦でスミスの中前同点打が中畑清氏の、第5戦でスミスの四球・二盗がクルーズのサヨナラ打を呼び込んだ。巨人当時から「教え魔」として知られ、引退後は起業する大物メジャーリーガーが多いなか、2008年北京五輪などで米国代表打撃コーチも務めた。

「1試合4本塁打」を含むメジャー通算215本塁打のボブ・ホーナー。契約が決まらず「FA浪人」になる直前、ヤクルトと契約を結んだ。「現役バリバリのメジャーリーガー」の打棒見たさに神宮球場には多くの観客が押し寄せ、「ホーナー現象」と呼ばれた。結局、303打数で31本塁打。規定打席不足で30本塁打した初の外国人選手となった。1年で帰国したが、『地球(アメリカ大リーグ)のウラ側にもうひとつの違う野球(ベースボール)があった』という著書も出版した。

 メジャー通算256本塁打のラリー・パリッシュがヤクルトに入団したのは89年。パリッシュは42本塁打といきなりタイトルを獲得。東京都内に1軒あったワニ肉料理がパワー源だった。しかし、池山隆寛・広沢克己(現・広澤克実)と合わせて「100三振トリオ」を90年に監督に就任した野村克也氏が嫌い、パリッシュは阪神に移籍した。当時のヤクルトは「大物狙い」で、90年には、メジャー通算133勝のフロイド・バニスター投手を獲得したが、わずか3勝に終わった。

 メジャー通算2008安打、打率.305、首位打者4度のビル・マドロックは、88年に37歳でロッテに入団した。「川崎球場だけで25本塁打は軽い」と豪語するも、打率.263、19本塁打、61打点と微妙な成績で1年で退団。「DH出場時以外はベンチ裏でテレビゲームに興じていた」という証言もある。

 そのロッテに、ボビー・バレンタイン監督の誘いでメジャー通算1922安打、首位打者1度のフリオ・フランコが95年に入団した。10年ぶりAクラス(2位)に貢献。1年で退団したが、98年に復帰。打率.290、18本塁打、77打点で95年に続きベストナインを受賞した。当初61年生まれとされていたが(98年時37歳)、のちに58年生まれ(40歳)と訂正された。

 楽天に入団したアンドリュー・ジョーンズはメジャー通算1933安打、434本塁打。2013年に26本塁打、94打点と活躍し、楽天悲願の初優勝に大貢献した。NPB元審判に言わせると、「ファウルを打つと、衝撃でボールの焦げた匂いがした」というほどの怪力を誇った。

(新條雅紀)

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