親の看取りは誰しもが経験するもの。しかし、ゆっくりと最期のお別れをすることができなかったと、後悔する人は多い。まだまだ元気だからと、話し合わずにいると、その日は急にやってくる。お墓のこと、相続のこと、延命措置のこと、そろそろ話し合ってみませんか? AERA 2017年7月10日号では「後悔しない親との別れ」を大特集。
親の死を乗り越え、受け入れ、立ち直る看取りを経験した著名人に、親の死との向き合い方、実務上で苦労したことなどについて聞いた。今回は、作家の平野啓一郎さんです。
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父親が病気で急逝したとき、自身は1歳だった。
「子ども時代に明確な死の概念はまだなく、悲愴感もなく、ただ『父がいない』ことを受け入れていました」
法事のたびに親族が涙し、その後、笑顔で会食するギャップに戸惑いつつ、漠然と死には2種類あるのだろうと考えた。
ひとつは、生物学的な限界に近づく寿命で迎える死。もうひとつは父に起こったような、病気や事故で中断される死。
父親の享年は36。10代になると、自分も父親と同年輩で死ぬのではと考えた。父の年齢を超えて生きることを、うまく想像できなかった。
「親を早くに亡くした人と話すと、そうした不安を感じた人が多いようです」
平野さんにとっての節目は、36歳となった2011年。その年、東日本大震災が起こり、多くの人々の人生が地震と津波によって、中断された。私生活では、子どもが生まれ、父親になった。
創作でも転換点に立っていた。『決壊』(08年)で、個人という主体を軸にした、近代以降から続く社会の構造的な限界を徹底して描いた。多くの読者は共感しつつ、どう生きていけばいいか、わからなくなって、と感想を漏らし、自分でもそうだった。
「この現代を生きて死ぬということを正面から見据え、生をどうポジティブに捉えていけるのか。東日本大震災を考える意味でも、子どもの親としても、創作の上でも大きな課題でした」