科学的に厳密で後の検証に堪えられる手続きで研究し、客観的にチェックされ、だれでもアクセスできる論文に仕上げる。それは福島に住み続ける人たちに、住む工夫の根拠となる「役に立つ知識」だった。とても使えないとされた汚れたWBCのデータさえ、3年がかりで解析し、事故から間もない時期の被曝状況を推定したのは粘りの勝利だった。
17年3月15日午後、東京大学理学部1号館2階の小柴ホールは、物理学者や学生、福島の関係者でいっぱいになった。早野の最終講義「CERNと20年福島と6年」である。着物姿の早野は若干落ち着きのなさを見せながらも、再会する福島の人びとと笑みを交わした。「早野先生がいたから、今、私たちは福島で暮らせる」、そういうニュアンスの言葉を何人から聞いたことか。
ここ2年ほど、福島の高校生との付き合いが深くなった。高校生に英語論文を書かせ、原発の現場を見せ、国際会議の場にも連れていった。
222枚の講義スライドは、原子核物理の研究から、3.11以後の活動へと紹介を進めた。216枚目で、糸井重里との共著『知ろうとすること。』の1ページを示した。冒頭には「私はちゃんと子供を産めるんですか?」とある。糸井が想定した質問だった。
「『はい。ちゃんと産めます』と答えます。躊躇せずに、間髪入れずに」
早野は言った。いろいろなことがこれからの福島にはあるだろう。それを解くのは、次世代しかない。高校生との付き合いもそのための一端であった。(文中敬称略)
(科学ジャーナリスト・内村直之)
※AERA 2017年5月29日