早野にとって、WBCは原子物理の問題と同じ好奇心の持てる「研究対象」であった。決意したのは、「他人がやっていないけれど、自分ならできると思えることなら、優先順位を判断した上で、俯瞰的に扱い、きちんと発表できる査読付き英文論文にしよう」ということだった。なぜ、早野はそう決意したか?
「(まだ物理研究で貢献できる)49歳ならやらなかった。定年の近い59歳だったから福島のことをしようと思った」。それまでの「役に立つわけではない」基礎研究に多大な研究費をもらった申し訳なさもあった。しかし、解くべき問題があり、自分に解けそうならやる……ふつふつと湧いたのはそんな研究者魂だった。
事故から1年数カ月経っても、福島県内の放射線被曝はどのような状況なのか、という問いに答える調査や論文はほとんどなかった。自治体の各種調査データもアリバイ的なものばかりで、実態を表すには程遠い。一方、早野、宮崎、坪倉らには、ひらた中央病院(福島県平田村)で最新のWBCを使った3万3千人ほどの内部被曝を測定したデータがあった。解析するならまずこれだ。
「われわれがやらずして誰がやる?」
「原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)」が福島の放射能実態について報告書を作成中と聞いていた。もし早野らがあのデータをまとめて第三者がチェックした査読付き論文にしなければ、「現場からの報告」は報告書にはまったく載らない。早野は13年の正月休みを論文作成に費やし、リミットぎりぎりで受理された。
●福島の高校生との交流 バトンは次世代に託す
もちろん、これらのデータへの批判は多かった。確かに、早野の注目した場所は、福島の全域ではない。たとえば、いまだ住民の帰れない福島第一原発近くの町についての言及はない。早野が依拠したデータは限定的だ。それでも全体状況を覆うデータの蓄積がある場合を選び、実態がどうなのか、もし例外的な場合があるならその背景は何か、ということを綿密に数字に語らせた。