けれども、これは医療倫理の根本を傷つける発想だ。ヒポクラテスの誓いには「患者の貧富貴賤によって行う医療内容を変えてはならない」とはっきり書かれているからである。この最古の職業的訓戒を破れば、医療はその本質的な意味の多くを失うだろう。腕のよい医師たちは富豪たちの「侍医」になることが最も賢明なキャリア形成だと思うようになるからだ。
とはいえ、市場原理を斥(しりぞ)けた場合に、どんな基準がありうるだろう。以前、養老孟司先生から「人工呼吸器が7台しかないところに8人目の患者が来たらどうするか?」についてお話を伺ったことがある。「どういう基準で決めるんです?」と問うと、養老先生はこう答えた。
「基準はないです。その場その場で、これはダメそうだとか、ダメじゃないかもしれないとかね。待ったなしですから、とにかくその場その場で判断しないといけない」
その言葉を新入生に紹介した。この問いを教育的課題に言い換えると「どうしていいかわからない時に、どうすればいいかわかる人間にはどうすればなれるか」というものになる。
経験的に有効な方法を私はいくつか知っているので、新入生にはそれを伝えたが、それを記すにはもう紙数が足りない。
※AERA 2017年4月24日号