●何も変わらない閉塞感に不満

 米国の知日派からも、「沖縄の人々が辺野古移設を支持しないなら、我々は再考しなければならない」(ジョセフ・ナイ元米国防次官補)という声が出始めていている。普天間移設の日米合意は1996年。18年が経過し、中国の海軍力や長距離ミサイルの脅威を在沖米軍が心配する時代になった。米国が考えるのは、もはや「普天間か辺野古」ではなく、「沖縄かグアム」の段階に移っている。

 普天間を抱える沖縄2区の投票行動も、不可思議だ。辺野古移設を切望していると思いきや、移設推進派の宮崎政久氏(自民党)は、反辺野古派の照屋寛徳(てるやかんとく)氏(社民党)に3万票以上の大差で敗れた。「負担軽減」の最短の道である辺野古移設を選ばなかったのである。

 なぜなのか。そこで浮かぶのが、辺野古移設の是非は本当に今回の選挙の争点だったのか、という疑問だ。

「沖縄の選挙の特徴は、基地撤去か経済発展かの二者択一に論点が矮小化してしまうこと。知事選や衆院選で宜野湾市が辺野古反対派を支持したことは、宜野湾市にとって普天間の『危険性除去』より重要なことが存在したということになります」

 そう指摘するのは、沖縄大学の樋口耕太郎准教授だ。

「交付金を獲得して基地跡地を開発しても、所得は上がらない。地域共同体は解体し、労働環境は悪化。教育は劣化し、環境は破壊され、自殺は増え、沖縄らしさが失われている。選挙の結果は、何も変わらない閉塞感に不満を持つサイレントマジョリティーが反辺野古派に合流したに過ぎない。自民党の敗因は、沖縄県民のそんな民意を読み違えたことではないか」

 問われているのは、沖縄そのもの。辺野古移設を安倍首相は「粛々と進める」と言うが、きっと「粛々」はあり得ない。本腰を入れて「沖縄問題」と向き合う。それが難問解決への近道かもしれない。

AERA 2014年12月29日―2015年1月5日合併号より抜粋