勤続年数36年の玉村千香子さんが働き始めたのは、40代を迎えようとするころだった。21歳で結婚してふたりの息子をもうけ、ずっと専業主婦として家事育児に励んできた。
当時は体が弱く、少し外出しただけでも疲労し、頭痛薬が手放せなかったという。そんなとき、息子の学校の先生から「ずっと家にこもっていないで働いたらどうですか」とキツいひと言を浴びせられ、一念発起。
「あのときは嫌なことを言われたと思ったけれど、あの言葉がきっかけで、ローソンで働き始めた。今は感謝しています」と語る。
もちろん働き始めてすぐに活躍できたわけではない。
「初めは1時間くらい働くだけでもつらくて、家に帰ると『次は行けるだろうか』と不安になっていました。でもお客様やクルーのみんなと話すことが楽しくて、『今日は頑張ろう』と自然とローソンに足が向いていったんです」
コツコツと働き続けるうちに、徐々に体は丈夫になっていった。「今ではずっと家にいると、かえって疲れるくらい。当時からは考えられないくらい図太くなりました」と笑う。
これまでに勤務していた店がクローズするなどもあったが、その都度「また働いてほしい」とSV(スーパーバイザー。本部と加盟店をつなぐ社員)や他の店長に引っ張られ、常連さんからも「この店が閉店したら、玉村さんはどの店に行くの? 今度はそちらに買い物に行くからね」と声をかけられ、その言葉を励みに働き続けた。そんな玉村さんに接客のコツを聞くと、こんな答えが返ってきた。
「何もないですよ。相手の目を見て話す。それだけです」

初任地として金沢に来た本部社員の木村迅さん(左)と松原桂人さん(右)。「玉村さんには仕事だけでなく、生活面でも気遣っていただき、お母さんのような存在です」

「千香ちゃん」と話すことが
楽しみで来店するお客様も
石川県金沢市にある金沢本多町三丁目店の周囲には、大企業のオフィスがある。玉村さんは自身と接点がなさそうな若い男性会社員に対しても、臆せず話しかける。
「おとなしい雰囲気のお客様と、ちょっとしたきっかけで話すようになったら、『今日は自分で弁当を作ってきたから、買わないよ』なんてわざわざ手作り弁当を見せに来店してくださったり、トラック運転手のお客様に『明日も来てくださいね』と声をかけたら『ハイ!』と返ってきたり。『おばあちゃん』と呼ばれて『おばあちゃんなんていないよ。お姉様だよ』なんて冗談を言うことも。『千香ちゃん』と呼ぶお客様もいらっしゃるんです(笑)」
学生たちには、騒いだら「静かにしてね」、ゴミをポイ捨てすれば「中にゴミ箱がありますよ」とはっきり注意する。それがかえって慕われることになり、大雪の日には、運動部員たちが自発的に店舗前の雪かきをしてくれたことも。
玉村さんと話すために来店する顧客も少なくない。
「とくにご高齢のお客様は、お店でのコミュニケーションがご来店理由のひとつとなっているケースがあります。ご高齢のお客様がいつもと違う様子だと、『体調はいかがですか』と声をかけますし、『玉村さんの顔を見て安心した』と帰られると、私もよかったなとほっとしますね」
夫の死も、大ケガも
仕事のおかげで乗り越えた
36年間、玉村さんはローソンを支え続けた。そして、ローソンの仕事もまた玉村さんを支えてきた。
17年前、人生最大の悲しみが襲った。夫が58歳の若さで他界したのだ。
「そのときは家の中に閉じこもって、もう仕事はやめようと思っていました。でも店長が『心が落ち着くまで休んでください。働きたいと思ったら出てくればいい』と言ってくれて。そのひと声でこのまま悲しみ続けても仕方ないと思い、1週間で復帰しました」
5年前には、東京に住む次男のもとに遊びに行った際、地下鉄の駅の階段を踏みはずして大ケガを負うアクシデントが起きた。

クルーや新入社員に指導する立場の玉村さん。いつも元気よくローソンのさまざまな仕事をこなす
「入院して動けず、金沢に4カ月も戻ることができませんでした。仕事はもうやめようかと思っていたら、金沢からわざわざ社員や他のクルーさんがお見舞いに来てくれたんです。そのときに『玉村さんさえよかったら、帰ってきてほしい』と言ってくれて。手術を終え、金沢に帰ってきたらすぐに復帰しました」
仕事が大好きな玉村さんだが、オフもしっかりと充実させている。趣味は夫も好きだった旅行。以前は海外によく行っていたが、今はもっぱら国内。北海道から沖縄まで飛び回る。
「体力の続く限り、仕事で求められる限り、頑張りたい」
玉村さんが生き生きと働く姿を見て、「こんなふうに年を重ねたい」と思う仲間も多い。玉村さんは金沢本多町三丁目店をほっと安心させてくれる存在となっている。