コピーライターとして長年活躍している、糸井重里さん。しかしそんな糸井さんでも、40歳を迎えた時には悩んだという。当時のことを次のように振り返る。
* * *
僕にとって40歳は25年前。暗いトンネルに入ったみたいでつらかったのを覚えている。絶対に戻りたくない、というくらいにね。
そのつらさは、自分がまだ何者でもないことに悩む、30歳を迎えるときのつらさとは別物だと思う。40歳を迎えるとき、多くの人は仕事でも自分の力量を発揮できて、周囲にもなくてはならないと思われる存在になっていて、いままでと同じコンパスで描く円の中にいる限りは、万能感にあふれている。
でも、40歳を超えた途端、「今までの円の中だけにいる」ことができなくなる。自分でもうすうす、今までのままじゃ通用しないと感づいている。別のコンパスで描いた円に入っていって、今までとは全然違うタイプの力を発揮しなきゃいけない。その時、自分が万能じゃないし、役に立たない存在だと突きつけられる。
僕も、40歳を迎えるころには、コピーライターとして、ちょっとした万能感があった。でもあるとき、外部の人との交渉の席で、「もっと偉い人出しなさい」と言われた。こういう、僕とは全く別の理屈をもった人たちをも巻き込んで仕事をしていかなきゃいけない、という理不尽に直面した。プレーヤーとしてコピーを書いているだけなら感じなかったことだと思う。
夫婦関係や子育て、親の介護や自分の病気など、さまざまな面で、今までどおりにはいかない理不尽を感じ始める時期でもあるしね。
その時、いままでは通用したのに、と過去の延長線上でもがくことが多い。でも、それではなかなかブレークスルーはない。
僕はゼロになることを意識するよう心掛けた。
仕事は何でも引き受けるんじゃなく厳選した。その頃には、仕事で迎えの車が来るなんてことも当たり前になっていたけれど、断って電車で移動するようにした。釣りを始めたのもこのころ。130人が参加する大会で80番くらいにやっとなれるかどうか。はじめて8番になった時には涙が出るほどうれしかった。趣味でも何でもいいから、簡単には1位を取れないけれどワクワクするものを40歳で持ってみることって、その後の人生を大きく左右すると思う。
※AERA 2014年6月9日号より抜粋