黒川博行(くろかわ・ひろゆき)/1949年生まれ、大阪府在住。86年に「キャッツアイころがった」でサントリーミステリー大賞、96年に「カウント・プラン」で日本推理作家協会賞、2014年に『破門』で直木賞。放し飼いにしているオカメインコのマキをこよなく愛する (写真=朝日新聞社)
黒川博行(くろかわ・ひろゆき)/1949年生まれ、大阪府在住。86年に「キャッツアイころがった」でサントリーミステリー大賞、96年に「カウント・プラン」で日本推理作家協会賞、2014年に『破門』で直木賞。放し飼いにしているオカメインコのマキをこよなく愛する (写真=朝日新聞社)
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※写真はイメージです (Getty Images)
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 ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回はテニス仲間について。

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 前回、毎週土曜日と日曜日、市の体育館のコートを借りてテニスをすると書いたが、そのつづきです──。

 いまから四十年以上前、わたしは高校教師のころテニスをはじめた。理由は夏の合宿。テニス部顧問は付き添いで現地に行かなければならず、ただぼんやりコートにいるのもつまらないと、生徒に交じって素振りから練習をはじめた。これがやってみるとけっこうおもしろい。なんとかラリーがつづくようになったころ、地元の自治会にテニス同好会があることを知り、そのメンバーになった(当時は庶民の手軽なスポーツとして、夏はテニス、冬はスキーが定番だった)。

 テニスサークルは盛況で、メンバーは男女合わせて五十人もいた。毎年三回、幹事を決めて、春、秋、年末にダブルス、ミックスダブルス、チーム対抗戦をする。夏は男だけで一泊の合宿もした。市の大会や新人戦にも参加して、大学や企業のテニス部員ともダブルスの試合をした。これは自慢だが、わたしの戦績は市の大会でベスト4、新人戦で準優勝が最高だった。

 出版社のテニス部合宿で軽井沢の保養所にも何度か行った。昼はテニス、夜は麻雀。愉(たの)しかった──。

 地元テニス同好会のメンバーは五十歳をすぎたころから徐々に減っていった。だいたいは膝(ひざ)の故障。それでも毎年三回の定期大会には二十五人ほどが集まる。

 話をもどす──。いま、土曜と日曜に顔を合わせるメンバーは爺(じい)さんばかり(上は七十九歳から下は六十九歳。来年はめでたく傘寿と古希になる。半数は禿(は)げているからキャップが欠かせず、プレー中に落ちたりするとボールを追わずにキャップを拾う)が約十人。このうちの七、八人がコートに集まって二時間から四時間、なぜかしらん元気に走りまわる。

 十人のモチベーションはもちろん“健康のため”だが、もっと大きい理由がある。家にいると退屈なのだという。

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