帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など多数の著書がある
帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など多数の著書がある
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正岡子規 (c)朝日新聞社
正岡子規 (c)朝日新聞社

 西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「友を持つということ」。

【写真】正岡子規

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【ポイント】
(1)ナイス・エイジングに欠かせない友の存在
(2)交友関係が人生に与える彩りは計り知れない
(3)時には折れそうになる心を友が支える

 ナイス・エイジングに欠かせない存在というのは、友ではないでしょうか。

 それを感じさせるのは正岡子規の晩年です。

 竹植ゑて 朋有り 遠方より来る

 という論語の一節をとった句を子規は詠んでいますが、交友関係が彼の人生に与えた彩りには計り知れないものがあります。

 子規が死の前年から死の直前まで綴った病床日録『仰臥漫録(ぎょうがまんろく)』を読むと、そのことが伝わってきます。彼が病に伏せっていた東京・根岸の侘(わび)住まいには、毎日のように入れ替わり立ち替わり朋友たちが訪れています。

 それも、決して病気見舞いという雰囲気ではないのです。文学談義に花を咲かせたり、酒を酌み交わしたり、要するに子規との交遊を楽しむためにやってくるのです。

 俳句の弟子にあたる高浜虚子は言うに及ばず、小説家の佐藤紅緑や歌人の伊藤左千夫とじつに多士済済。ある日、俳人の河東碧梧桐があらわれました。食卓には松茸ご飯と酒。子規は「もう少しすると虚子が来ることになっているので、それを待って三人で一杯」と提案して一句。

 虚子を待つ 松蕈鮓や 酒二合

 とても命旦夕(めいたんせき)に迫る人の句には思えません。

 子規は若くして肺結核を患い、その後、結核菌が脊椎を冒し脊椎カリエスを発症しました。そのため、34歳で亡くなるまでの3年間は寝たきりの状態でした。『仰臥漫録』はその頃の日録です。

 背中や臀部に穴があいて、膿が流れ出る状態で、その痛みは並大抵のものではありませんでした。

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