88年ソウル五輪は、瀬古利彦でもめたのはよく知られている。瀬古は“一発選考会のはず”の福岡国際の直前に故障して欠場。翌年のびわ湖毎日で再挑戦という特別待遇を与えられた。瀬古は11戦9勝の強さ。国内外を問わず引っ張りだこの実力者で、日本陸上競技連盟も一発勝負を提案できる状況になく、「福岡で勝負しよう」と選手が内々で約束するしかなかった──。スポーツの商業化を象徴したもめ事だった。
来年の東京五輪に向けて行われたマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)も2人を選ぶのみで、正しくは“一発勝負”ではない。3枠目を残している。それが悪いこととは思わないが、きっともめるだろう。
4年に一度、日常の垢(あか)を拭って五輪に出ていくとき、代表選考で騒ぎを残してきた。ああだこうだと言いつつも、恥ずかしながら、そこに私たちの歩んできた時代模様が染みているのだから仕方がない。
ロードレースは私たちの生活に密着して普及し、ゆえに幅広い人気があり、そこに名誉も利権も湧き出て人間臭い──。
こうした事情は大なり小なりどこの国のどの競技にもあるだろう。五輪はそうした様々な人間の営みを一堂に集めるイベントだから、理屈に合わない結果も起こるのだろう。
『増補改訂 オリンピック全大会 人と時代と夢の物語』(朝日選書)を書きながら、人間が多様だから五輪はもめながら続いてきたと思った。
「より速く、より高く」とは言え、もはやどの競技も世界選手権の記録にかなわない。それでも五輪の存在感が衰えないのは、そこに多様な人間のあやをかき分けて時代の夢が広がっているからだ。あやが複雑なほどドラマチックになる。
20年東京五輪は間違いなく多くのストーリーを残す。ただ、それがさわやかかどうかは我々の判断の埒外(らちがい)だ。選手と一緒に瞬間に熱くなり、語り合い、愛情を持って拍手で送り出し、再び4年間の日常に戻るのだ。(スポーツライター・武田薫)
※週刊朝日 2019年10月18日号