そんなことに労力をかけるぐらいなら、模範解答を暗記した方が早い気がしたが、「人生、終わった」人たちの心の闇の深さは、大センセイにはついぞ分からなかった。
彼らはいま、どんな人生を送っているだろうか。
もうひとつ、忘れられないカンニングがある。
小学校の高学年のときのことである。同じクラスにKさんという女子がいた。
当時の大センセイは品行方正、威風堂々、向かうところ敵なしの学級委員で、勉強もできた。一方のKさんは、不美人で勉強も運動もできない、目立つところのまったくない存在であった。
その日、算数のテストが始まると、大センセイ、隣の机に座っているKさんが、こちらの手元をじーっと見詰めていることに気づいた。それはもう、あからさまな、紛う方なき、そして決然たるカンニングであった。
大センセイが解答欄に「4」と書くと、すかさずKさんの鉛筆が動いた。まるで監視されているよう。
さすがにいかがなものかと思ってKさんの方を見ると、再び彼女が鉛筆を動かして解答欄に何かを書き加えた。大センセイ、思わずそれを見てしまった。
「4 だと思う」
あれは、カンニングに対する後ろめたさの表明だったのか、大センセイへの遠慮だったのか、それとも……。
彼女はいま、どんな人生を送っているだろうか。
※週刊朝日 2019年4月26日号