19年の東大合格者数は、両校ともに7人で並んだ。競っているのは合格実績だけではない。「前高定期戦」「高前定期戦」と呼ぶスポーツ交流の通算成績もほぼ互角だという。
【埼玉】
首都圏で比較すると、埼玉県だけが東大合格者数のトップに公立校が君臨する。県立浦和は、東大合格者数が全国の公立でトップになったこともある。
その名門校の東大合格者数を一度だけ抜いたことがあるのが、アクティブラーニングを取り入れている私立の栄東。16年には県立浦和より5人多い27人が合格した。同校は中学に「東大クラス」、高校に東大や国公立大医学部を目指す「東・医クラス」を設置している。
【千葉】
1983年に開校した渋谷教育学園幕張が、2002年に県立千葉を抜いて、県のトップ校になった。以降、東大合格者数を年々増やし、トップ10の常連校へと躍進した。
【東京】
公立の健闘ぶりに注目したい。
1967年までは都立の日比谷が東大合格者数日本一で、64年には193人も合格した。しかし、68年に灘(兵庫)がトップになり、それ以降81年までは灘、東京の教育大附(現・筑波大附)、教育大附駒場(現・筑波大附駒場)、開成の4校がトップの座を競い合った。
日比谷の93年の合格者数はわずか1人。激減の理由を小林さんが説明する。
「67年に学校群制度を導入しました。何校かの『群』を受けるため、進学したい高校を選べなくなったのです。このため、成績優秀な生徒が国立や私立に進学するようになりました」
都立高校の衰退ぶりに、94年から単独選抜制が導入されたが、失った人気を回復することはできなかった。このため、2001年に当時の石原慎太郎都知事と都教育委員会が都立高校復権のために改革を実施し、日比谷、西、戸山、八王子東を進学指導重点校に指定。03年には青山、国立、立川も指定された。
この結果、05年に日比谷から東大に14人合格。その後、次第に合格者が増え、11~13年には30人前後、16年には53人が合格した。48人合格した昨年は、48年ぶりにトップ10入りを果たした。19年も47人が合格し、全国11位で、公立トップだ。