イラスト/阿部結
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 SNSで「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれるノンフィクション作家・山田清機さんの『週刊朝日』連載、『大センセイの大魂嘆(だいこんたん)!』。今回のテーマは「褒める人」。

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 自己啓発本というやつが嫌いで、めったに読まない。自己啓発本を「ジコケー」などと略して呼ぶ人はもっと嫌いで、生涯交友を結ぶことはないと思ってしまう。

 しかし、『嫌われる勇気』(岸見一郎 古賀史健・ダイヤモンド社)という本は別格であった。アドラーという心理学者の教えを対話形式で解説している本だが、実によくできた本だった。

 大センセイが一番ピンときたのは、

「子供を褒めて育てるっちゅうのは、間違いやでぇ」

 というアドラーさんのひと言である。なんでもアドラーさんは、「賞罰教育」を否定したんだそうである。

 子供が親にとって都合のいいことをやっていれば褒めてやり、都合の悪いことをやると罰する。これは親自身のためであって、決して子供のためではないというんである。

 思い当たる。大いに思い当たる。大センセイ、昭和君が野菜を食べれば褒めるが、甘いものを食べるのは抑制する。絵本を読むのは奨励するが、テレビを見ていると機嫌が悪くなる。そうすることで、彼を自分が好ましいと思う方向に誘導しようとしている。アドラーはんの言う通りや。

 褒められて育った人間は、褒めてくれた人に尻尾を振って、褒めてくれた人の言うことを聞くようになってしまう。そうこうするうち、自分自身の人生を見失ってしまうんやでと、アドラーさんは警告してはる(※)。

 思い当たるなぁ。優等生だった大センセイは、まさにそういう子供だったし、いまだって誰かに褒められれば反射的に尻尾をぶんぶん振ってしまうんだワン!

 20代で会社をやめた後、住み込みで植木屋のバイトをやっていたことがある。

 植木屋の親方は面白い人で、学校では絶対に教えてくれないことを独特の仕方で教えてくれた。

「お前さん、酒は好きかい?」

「あ、はい。いただきます」

 大センセイがビールのグラスを差し出すと、

「馬鹿野郎め、酒は好きかと聞いたんだ、飲めとは言っちゃいねぇ」

 と叱られる。しかも変な節回しで言うので、そりゃ何ですかと尋ねると、講談の一節だという返事である。

 ある日、工場を経営している社長さんの庭の手入れに行ったことがあった。

 いわゆる日本庭園だが、枯山水に白い玉砂利が敷きつめてある、本格的な庭であった。

「ここの施主さんは細かいから、松葉一本落とすなよ」

 親方からそう指示されて、上は濃紺のヤッケ、下はニッカボッカに地下足袋という完璧な職人スタイルで、大センセイ、四つん這いになって庭に落ちているすべての葉っぱを拾い集めた。

 日暮れになって仕事を終えると、社長の奥さんが縁側でお茶を淹れてくれた。

「親方、いい若い衆を入れたわね。立派な仕事ぶりだったわよ」

 大センセイ、苦労が報われた気がして嬉しかった。

 帰り道、ふくふくした気分でトラックの助手席に乗っていると、ハンドルを握っている親方が言った。

「施主さんが、なんでお前さんのことを褒めたかわかるかい?」

「それは、まぁ、一日がんばったわけだし……」

「馬鹿野郎め、お前さんを下に見てるからだ。人間、自分より上だと思う相手のことは、めったに褒めやしねぇもんだ」

 大センセイ、昭和君を褒めていると、いつもこのやり取りを思い出すのだった。

※編集部注 原文は関西弁ではありません。

週刊朝日  2019年1月4‐11日合併号