(イラスト/阿部結)
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 SNSで「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれるノンフィクション作家・山田清機さんの『週刊朝日』連載、『大センセイの大魂嘆(だいこんたん)!』。今回のテーマは「庶民」。

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 50代も半ばともなると、かつての同期生たちの中から大企業の役員だの社長だのがポツポツと出るようになって、ほう、と思ったりするものである。

 大センセイ、もとより組織に適応できない人間だから、出世という言葉とは無縁である。しかし、だからといって、同世代がエリートとして社会的に重きを置かれる存在になっていくことに、一抹の感慨がなくはないんである。

 エリートで思い出すのは、新橋にあった出版社で編集者として働いていた、若かりし頃のことである。

 新橋といえば、今も昔もうだつの上がらないサラリーマンの街。サラリーマンのインタビューといえば、当時から新橋駅前のSL広場と相場は決まっていた。

 大センセイがお勤めだった頃の新橋駅前には、「かめちゃぼ」という立ち食いの牛鍋屋があって、たいそう繁盛していた。

 一人前500円の牛鍋を注文すると、カウンターの上に堆く積まれた鉄鍋のひとつを、店員がコンロの上にのせてくれる。鉄鍋にはすでに牛肉と野菜とタレが仕込んであって、コンロに火さえつければ牛鍋が出来上がる仕掛けである。

 朝っぱらから立ったままで甘辛い牛鍋を突き回していると、しみじみと新橋が感じられたものである。

 以前、大センセイにはTさんという物書きの師匠がいると書いた。Tさんは新橋時代のデスクで大センセイよりひと回り上だったが、ともに契約社員という、不安定な身の上だった。

 ある日Tさんから、外務省の審議官にインタビューに行くから、録音テープを回しに来いと命じられた。

 インタビューの相手は、やはりTという名前の北方領土問題の専門家である。外務省の審議官がどれほど偉いのか知らなかったが、大センセイ、せっかく行くからには気の利いた質問の一発でもかましてやろうと、一夜漬けで北方領土問題を勉強していったのだった。

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