1986年の男女雇用機会均等法施行から30年余り。道なき道を走り抜け、遮二無二働く女たちが「定年退職」を迎えようとしている。人生100年時代、女たちは第二の人生をどう歩むのか。
31年勤めた日産自動車を53歳で早期退職すると、趣味もない自分に気づいた。
「空いた時間をどう過ごしていいかわからない。定年退職した男性が言われたように、『濡れ落ち葉』なんだ、と衝撃を受けました」
笑いながら振り返るのは昭和女子大学の現代ビジネス研究所で女性のセカンドキャリアを研究する遠藤佳代子さん(60)。入社は男女雇用機会均等法が施行される前だったが、当時は珍しい総合職での採用だった。2人の子どもを育てながら、残業、出張と無我夢中で働き、やがて部門の課長職の地位に就いた。
だが52歳のとき、五つ年下の女性が上司に。
「お互いに気まずい。さらに私が辞めなければ、女性の管理職ポストは満席のままで、若い女性の管理職が生まれない」(遠藤さん)
翌年に早期定年退職。数社で働き58歳で辞めると、時間を持て余すことになった。勤勉な性格そのままに趣味探しに全力投球した。講座や習い事、ボランティアと掛け持ち、堪能な語学力を生かして、2020年東京五輪での外国人向けおもてなし語学ボランティアにも登録した。だが、物足りない。大学の研究員を務める傍ら、公共機関で女性就職支援のキャリアコンサルタントとして働き始めた。
今年50歳を迎えた山岸雅子さん(仮名)は、大手電機メーカーの課長職。均等法世代の女性のリクルーターの話を聞き、女性が活躍できる企業だと信じ、90年に入社を決めた。
定年を意識したのは45歳のころ。役職のない、経理などの専門的なスキルを持つ同期の女性たちは、「転職の最後のチャンス」と、この5年の間にまとまって辞めていった。100人いた同期の女性は、わずか十数人になった。
55歳で役職定年を迎えれば、給与をはじめ処遇も下がる。山岸さんも60歳や65歳まで会社に残るかどうか、悩むところだ。大学生の子どもも、あと数年で手を離れる。