星野さんが2度目の中日監督になった時、私は西武の監督として、2人でトレードの話をした。フロント同士が電話をするのではなく、監督同士の直接的な対話だったから、変な駆け引きは一切なかった。「誰がほしい」など交換要員の名前を挙げてぶつけ合ったことを覚えている。

 全権を与えられると、その人物にバランス感覚がないとチーム全体が崩れる。しかし、星野さんは阪神でも、楽天でも、編成を含めた全権監督として、チームを確実に強化した。1990年代、2000年代、そして2010年以降と時代の変化に対応しながら。野球界だけでふんぞり返っていたら、絶対になし得ないこと。いろんな世界のトップの人と交流を図りながら感覚も研ぎ澄まされたのだろうと容易に想像できる。

 40歳前後で就任する監督は増えている。だが、先ほど指摘したように、編成権などチーム組織は細分化されており、なかなか自分の色を出し切れない時代であることは事実だ。だが「若いから遠慮や配慮ばかり……」では、かえってチームの停滞を招くことは忘れてはならない。負け続けた時に責任をとるのは、まずは監督である。その点は30年前も、今も変わることはない。だからこそ、星野さんが強烈な色を出したように、監督には思い切って自分の意思を発信してもらいたい。「遠慮」「配慮」ばかりでは、チームを突き動かすことはできないのだから。

週刊朝日 2018年1月26日号

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東尾修

東尾修

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

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