

西武ライオンズの元エースで監督経験もある東尾修氏は、監督としても活躍した故・星野仙一氏の姿勢を称賛する。
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星野仙一さんが1月4日に膵臓(すいぞう)がんで亡くなった。この訃報(ふほう)を聞いた時に本当にショックを受けたし、言葉を失った。私は直接同じチームで仕事をしたことはなかったけれど、選手として、監督として参考にし、目標にしたことが多かった。ご冥福をお祈りします。
現役時代も、星野さんは中日で、私は西武。リーグが違うので、なかなか話をする機会はなかったが、内角球を生命線とする点では、共感する部分が多かった。打者に向かっていく姿勢だよね。私が西武で初めて日本シリーズに出た1982年、最高殊勲選手となったが、その相手が中日だった。
それ以上に、外から見て参考にしたいと感じていたのが監督としてのチームマネジメントの姿だった。星野さんは40歳で中日の監督になったと記憶しているが、私が西武の監督になったのが95年で当時44歳。若くして監督になりながら、自分の色をしっかり出して現場をまとめ上げる。さらに、現場だけでなく、トレードなどで積極的に補強を行う姿。フロント主導ではなく、星野さん主導だった。
今は監督と選手補強を含めたフロント(=GM)とは明確に役割が区分けされる時代となった。もちろん、近年はデータ分析がより繊細になり、作戦面でもより進化し、多くの選択肢があるため、監督がグラウンド内でなすべきことは増えており、チーム編成の役割とは切り離す組織論は理解できる。だが一方で、チームとして本当に弱い部分を知っているのが監督である。補強は単なる数字的なパズルではなく、チーム全体のメンタル面も含めて考慮されるべきである。監督自らが動いたほうが、補強のスピード感も出る。星野さんの「全権監督」としての判断能力を参考にしたいと私も思っていた。