作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。援助交際に代わる言葉として登場した「パパ活」という言葉を取り上げる。

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「あれは買春じゃない、エンコーだ」と言いはる男性がいた。若い女性とのセックスを金で得たあげく、オジサン側が「女性にいいことしてあげた感」を得られる「エンコー」って、いったいどういうマジックだよ、と驚いたものだ。

「パパ活」という言葉がある。女性が「パパ」(生活を援助する男性)を探す活動らしい。手垢のついた「エンコー」よりも、安全・安心・カジュアル感があるせいか、パパを探す女性、パパになりたい男性のマッチングサイトもある。

 試しにいくつかのサイトを覗いてみた。風俗業界もそうだが、こういうものは「女性向け」と「男性向け」の情報に裏表が激しいのが特徴だ。例えば風俗だと、「笑顔が素敵な女性が採用基準」「夢を叶えよう」「貴女を丁寧にサポート!」という言葉が並んでいるが、同じ店の男性向けの広告では「在籍女性はドスケベばかり」「やりたいように自由に責めまくれる」など激しさを強調するトーンが常だ。

 案の定、パパ活サイトも同じようなものだった。というか、風俗産業の勧誘と、それはとても似ている。女性を募集するページでは、普通の女性が普通にやっていることだから安心してね、男性はエロではなく一般常識や笑顔を求めてます、風俗じゃないからセックスはしなくていいです、この機会に中身を磨いて夢を叶えよう!と明るい調子だ。一方男性側のサイトでは、女性は容姿などでランク付けされ、セックスできることがそれとなく伝わってくる内容だ。妻以外の女性とセックスしたいが、風俗は空しい、だって僕はドキドキしたいし、若い女性に優しくされたいし、「パパ」と呼ばれてみたいんだもん、という男の欲望を満たす“新しい風俗”であることがわかる。

 この国の男は、いったいどこまで甘やかされたいのだろう。

 
 パパ活。援助交際と同様、それはまるで女の主体的な欲望のように語られるが、実際は男の欲望を自ら責任を引き受けない形でビジネス化したものに過ぎない。今も昔も言葉だけ変わるが、中身は同じだ。こういうシステムを作っておいて、いざ女が危険な目に遭えば「リスク承知のはずだ」と責め立てる準備は万全に整えられている。さらに経済状態を男女対等にしない社会構造を守りぬき、「パパ活」を生きる術にするしかない女性を生産し続ける。さらに「女は楽して稼げていいな」と「買われる」女たちを批判する手も緩めない。そう、こうやっていつも、全て男のやったことを「片付けさせられる」のは、女側なのだ。

 今月末からdTVなどで「パパ活」というドラマの配信が始まった。主演は渡部篤郎で、わけありの大学教授と女子大学生の物語。あらすじを見ると、年の離れた男女の恋愛&人間ドラマっぽい雰囲気だが、内容はさておき、「パパ活」という言葉、無造作に広げるべきじゃない。男の欲望のお片付け、これ以上、女に押しつけてはいけないでしょ。

週刊朝日  2017年7月7日号