作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。北原氏は、「テロとの戦い」についてこう書く。
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2001年9月11日の夜、車の中で聞いていたラジオから、ニューヨークで起きたことを知った。
「ワールドトレードセンターに旅客機が……」。原稿を読むパーソナリティも、何が何だかわからない調子での第一報だった。慌てて家に帰りテレビをつけた。それからは一晩中、テレビの前にいた。テレビも24時間ずっと、ニューヨーク一色だった。
あれから14年。パリで起きたことは、ネットで知った。すぐにテレビをつけたけれど、どのチャンネルからも芸人の高笑いが聞こえてくるばかりだった。信じられない思いでチャンネルを変え続けたけれど、報道される気配がまるでない。これほどの事件も、日本では、ニュースの一部だ。そのことに、軽くショックを受ける。私たちの社会は、いったい何に慣れ、何に鈍くなっているのだろう。
今年の夏、ヨーロッパ旅行中に知り合った人が、チュニジアでの襲撃事件にニアミスしたんだ、と話してくれた。3月に襲撃された国立バルドー博物館にいたの? と驚くと、「あのテロがあったから、チュニジアでしばらくテロはないと思ってヴァカンスに行った先で」と言っていた。チュニジアでは今年6月、地中海沿いの高級ホテルで30人以上が犠牲になった。
2001年9月にはじまった「テロとの戦い」は、いったい何を変えてきただろう。戦いの目的が戦いを終わらせることなのだとしたら、そもそも戦い方を間違い続けているのではないか。「テロとの戦い」こそが世界を、より深刻に破壊しているのではないか。そして日本は、外国で起きているこの苛烈な戦争に、自ら首を突っ込もうとしているのだ。
テロに屈しない。テロとの戦いだ。
そんな声が早くもあちこちから、聞こえてくる。テロに負けないことを表明するため、いつも通り電車に乗り、買い物し、カフェでくつろぐパリ市民の姿がテレビに映し出される。そしてそれは、フランスがシリアを空爆してきた間も、繰り返されてきた平和な日常と同じ光景だろう。
「憎むべきはイスラム教ではなくテロである」と、そんな当たり前のことを声高に語り、「テロは許さない」と拳を振り上げるような声が、私は今、とても怖い。
一見冷静に見える良心、咎めようのない正義が社会全体で一致団結していく様が、また新たな「テロとの戦い」の幕を開けるだろう。それが不毛であること、そして一般市民がただ恐怖に巻き込まれ、犠牲になることしか意味しないことを、私たちは充分に学んできたというのに。今はまず、世界中の全ての犠牲者を悼みたい。
※週刊朝日 2015年12月4日号
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