本紙連載コラム「豆を拾いながら歩く」の著者、小説家の戌井昭人氏は、銭湯でよく見かける男が気になってしかたがなかった。

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 以前は、毎晩のように近所の銭湯に通っていました。家に風呂はあったのですが、銭湯の気持良さを知ってしまい、あの大きな湯船につからないと一日が終わらない気がしていたのです。

 だから顔なじみができ、挨拶したりする人もいました。また挨拶をしなくても、「あの人、来てるな」と、毎度、風呂屋で見かける人がいて、勝手に、いろいろとあだ名をつけていました。「ホワイトパンツライオン」「足小指なし」「まさぐり」「笑い顔」「カツラの床屋」などなどで、あだ名にはたいしてひねりがないので、だいたい想像つくと思います。

 その中に「絶対見せないさん」という人がいました。年齢は30歳くらい、サラサラの長髪は肩までありますが、頭のてっぺんが薄くなりかけています。背は160センチくらい、姿勢がやたらよくて、どこか悲しげな目をしています。そして絶対に見せないのです。見せないのは、つまり男のイチモツをです。わたしの銭湯経験で、あそこまで隠している人はいままで見たことがありません。

 彼は、脱衣場で服を脱ぎます。そして、パンツ一丁になると、タオルを巻いてから、パンツを脱ぎます。見えません、見せません。ちょこりと突き出たお腹、その腰に巻いてるタオルが微妙に小さくて、結び目がギリギリになっています。危うい、大丈夫か? でも絶対に外れません。

 無駄な動きはまったくせず、お風呂セットを小脇に抱えて、浴場へ向かい、なるべく隣に人がいないカラン前を選んで座ると、もの凄い早さで石鹸を泡立て、体に塗りたくります。そして腰を浮かしタオルを外すと、泡に隠れていて、イチモツは見えません。

 泡を流す前に、タオルを巻き、身体に湯をかけ、髪の毛を洗います。全身を洗い終わると、ゆっくりと立ち上がります。タオルは巻いたままで、湯船に向かいます。ここで問題です。風呂屋で、タオルを湯の中に入れるのは、マナー違反であります。しかし彼は、タオルを巻いたまま湯船の中に立っています。そして、辺りの様子をうかがい、しゃがむと同時に、さっとタオルを外します。

 この早業が素晴らしくて、毎度見とれてしまいました。まるで職人技です。タオルは湯船に絶対につけません。そして絶対見せません。見えません。湯船を出るときもそうです。

 頭にのったタオルを、取ります。湯につかったまま、後ろに人がいないか確認してから、壁際に向かいます。それから両手でタオルをひろげて、立ち上がりつつ、パッと隠して、腰にタオルを巻きます。この早業、絶対に見えません。

 彼とは風呂場で、100回くらいは会っていて、毎度見ようとしていたのですが、結局、わたしは一度も拝見することはできませんでした。

 このまえ、久しぶりに、彼をコンビニエンスストアで見かけました。エロ本を立ち読みしていました。自分は絶対に見せないけれど、女性のは見ようとしているのでした。

週刊朝日  2014年11月21日号