お笑い芸人の島田洋七さんが、13年の親の介護生活を振り返ってこういう。
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がばいばあちゃんに育てられたせいか、昔からお年寄りが好きだった。
今はもう、俺の親も嫁の親も亡くなったから、家族の中に年上がいなくなってしまった。嫁と一緒にメシを食いに出かけるとき、近所に住んでいるおばあさんを連れていくことがよくある。いわば“レンタル母さん”だ。
一番よく誘っているのは、土地を売ってくれた家のおばあさんだ。
きっかけは、佐賀に引っ越してきた朝だ。クルマから荷物を下ろしていると、遠巻きに様子をうかがっている人がいた。
「何を見てはるんですか?」
「ここを売ったモンですけど、ほんまに洋七さんが引っ越してくるんかなと思って」
「引っ越してきましたよ。とりあえず、うちに上がってお茶でも飲みます?」
そんなふうにして付き合いができて、もう300回以上は一緒に食事に出かけていると思う。その家は農家をやっているから、嫁もそのおばあさんとは仲良くなって、今では本当の親のように慕っている。近所から借りてきたくなるくらい、お年寄りのことが好きだ。
そんな性格だから、オカンの介護をしているときも、どこか遊びに出かけているような気持ちでいた。
13年間の介護生活の中で、忘れられない瞬間がある。
「じゃあ、俺はそろそろ帰るわ」
1時間近く話をしたところで、すっかり満足して施設を出た。いつもならすぐにクルマに乗り込むところだけど、その日は何の気なしに施設のほうを振り返ってみた。
施設の窓は、一つだけ開いていた。その窓から、オカンがこちらに向かって手を振っていたのである。
「あんた、今まで気づかんかったん? お母さん、ずっと手振ってたで」
嫁によると、介護施設に入った頃からずっと、オカンは俺のほうに手を振っていたそうだ。窓辺に他の人が立っているときはその人をどかしてまで俺を見送ってくれていたのだ。
俺が気づかないことに不満そうにするわけでもなく、満面の笑みを浮かべながら、俺に向かって全力で手を振っている──オカンのその姿に、教えられたような気がした。
オカンが俺に手を振っていたのは、純粋に感謝の気持ちを表してくれていたのだと思う。そこに「せっかく手を振ってるんだから気づいてほしい」という、見返りを求める心は感じられなかった。
介護も人生も、見返りを求めるとしんどくなる。「こんなに世話をしてあげてるのに」と思うと、つらくなってしまう。でも、「こうしてあげたい」と思ったことを素直にしていれば、ストレスを感じることもないはずだ。
その日を境に、俺も振り返ってオカンに手を振るようになった。もちろん、義務感からではなく、オカンを喜ばせたくて手を振っていたのだ。
※週刊朝日 2014年8月22日号