三味線と唄を担当する地方(じかた)としてお座敷に引っ張りだこのゆう子さん(90)。名実ともに現役最高齢の芸者さんだ(撮影/山本倫子)
三味線と唄を担当する地方(じかた)としてお座敷に引っ張りだこのゆう子さん(90)。名実ともに現役最高齢の芸者さんだ(撮影/山本倫子)

 今秋、期間限定で浅草芸者衆の踊りを一般観光客も無料で観賞できる初のイベントが開催中だ。花街が“一見さんお断り”だった昔を思えば隔世の感あり。かつて料亭には多くの有名人が訪れ、お座敷で意外な素顔を見せていた。戦前の花柳界を知る現役最高齢、“売れっ妓”の浅草芸者ゆう子さん(90)が選りすぐりの思い出を語る。

――雷門前のホールで浅草芸者衆の踊りを披露する入場無料のイベント、「お座敷おどり」が好評です。

 うれしいわね。昔じゃ考えられないけど、とってもいいことだと思うのよ。

 浅草の花柳界は浅草寺の観音様の裏手にあって、「観音裏(かんのんうら)」と呼ばれているの。表側の雷門や仲見世のほうはいつも賑やかだけど、観音裏に観光のお客様がいらっしゃることはほとんどないわね。ふだんは静かなところよ。

 だからそういうイベントに大勢のお客様が来てくださって、芸者衆のことを知っていただくのは本当にうれしいこと。中にはお財(たから)をお持ちで、今度は観音裏の料亭さんに行ってみようかなと思ってくださる方がいらっしゃるかもしれないじゃない?

――ゆう子さんは戦前から浅草で芸者さんをなさっているのですね。

 そう、生まれは本所。数えの13で浅草の芸者屋に奉公に来てから3年間は仕込みっ子。お稽古をしながら下働きをして、16で芸者になったの。昭和何年かって? ……私、そういうのにからっきし弱いのよ。読み書き算盤がダメで踊りが大好きで芸者になったんですもの。大正12年生まれだから……とにかく戦前よ。浅草で戦前を知る芸者はもう私だけ。そのころは浅草に芸者が300人、お出先(芸者衆の仕事場。料亭や待合)が250軒ありました。

――お座敷にはどんなお客さんが見えていましたか?

 芸者というのは口が堅いものなのよ。お客様のことをべらべらしゃべっちゃうようじゃ芸者の値打ちはないの。若いときからそう躾けられてきました。だからこそ花柳界を信用してお客様が来てくださるんです。でも、もう亡くなられたお客様の思い出話ならいいわよ。……私がまだ10代のころ、嵐寛寿郎さんには何度もお会いしました。

――アラカンさん……「鞍馬天狗」で有名な戦前映画界のヒーローですね。

 そう。私もアラカンさんの活動写真……あ、今は映画ね……はしょっちゅう見てたわよ。そんな人に会えるんだから、芸者さんになってよかったと思ったわね。いきさつをお話しすると、アラカンさんご贔屓(ひいき)の芸者さんから、お留守番を頼まれたんです。

――“お留守番”ですか?

 芸者がお座敷を中座しなければならないときに、他の芸者がお客様の相手をして座をつないでおくことよ。その芸者さんは別嬪(べっぴん)さんでとっても人気があったから、アラカンさんのお座敷の途中にも別のお客様からお声がかかるのね。そのときはいつも私に「お留守番をお願い。1時間くらいで戻ってくるから」って。

――大スターのアラカンさんとお座敷で二人……。ドキドキされたのでは?

 ちっとも。それよりも、大勢いる芸者衆の中で私にお留守番を頼んでくれたことのほうがよっぽどうれしかった。だって、この妓(こ)は口が堅くて安心だと信用してもらえた証拠でしょ? 中にはお留守番を頼んだ芸者に私生活をばらされちゃったり、お客様を取られちゃった、なんていうこともあったのよ。

 アラカンさんのお人柄は、「鞍馬天狗」の役柄そのままでした。偉ぶったところが少しもなくて、堅くて、静かにお酒を飲んでおられました。この方に意地の悪い役はできないわ、と思いましたね。

週刊朝日 2013年10月4日号