“令和の怪物”佐々木朗希(大船渡)が10月2日、プロ入りを表明し、「12球団、どこでも頑張りたいと思っています」とコメントした。ライバル・奥川恭伸(星稜)も「指名していただけるのであれば、どの球団でもうれしいです」と12球団OKの構え。一昨年のドラフトでも、超高校級スラッガー・清宮幸太郎(早稲田実-日本ハム)が「12球団OK」の姿勢を見せるなど、ここ数年は目玉候補の“謙虚”な希望が目につくようになった。
【写真】「平成で最もカッコいいバッティングフォーム」はこの選手!
「まずは日本で頑張りたい」という佐々木の決意からもうかがえるように、近年の高校生は将来のメジャー入りも視野に入れ、そのステップとなるNPBについては、あえて希望球団を明言しなくなっているようだ。それに引き換え、メジャーという選択肢がなかった時代のドラフト候補の発言は、謙虚さが主流の今では想像もつかないほど“横柄”だった。
1965年にスタートしたドラフト制度は、69年に早大のスラッガー・荒川尭の“荒川事件”、78年に江川卓の“空白の一日事件”など、希望球団に指名されなかった超目玉をめぐり、数々の事件が起きているが、「巨人でなきゃイヤ!」「パ・リーグなら社会人入り」といった逆指名発言が一気に過熱したのが83年だった。
甲子園夏春連覇の池田のエース、“阿波の金太郎”水野雄仁が「プロでやる以上、伝統と人気のある球団に入りたい」と巨人を逆指名。「巨人以外なら進学」とぶち上げた。法大の主砲・小早川毅彦も第1希望に広島を挙げ、「パ・リーグ球団指名なら社会人入り。2年後のプロ入りもしない」とキッパリ。社会人のエース・池田親興も「巨人、阪神以外に指名されたら、プロ入りを見送る」と宣言するなど、高校、大学、社会人の目玉の逆指名が相次いだ。
さらに、ドラフト会議の24時間前には、興南の左腕・仲田幸司が父親と連名で「巨人以外の指名であれば、大学へ進学するとの進路決定を致しましたので、もし貴殿から指名をいただいても、お受けすることが出来ません」と記された内容証明書付きの通知書を巨人以外の11球団に郵送する前代未聞の事態も起きた。