駅長さんと一緒に、ホームで列車を待った。やってきたのは、日本の中古車両だった。1両だけがゆっくりと入線した。

「しばらく前まで2両編成だったんですけど……」

 駅長さんが説明してくれた。1両だけの列車は、やはりバスのようにも映る。

 ミャンマーの全鉄道路線を乗りつぶす旅は手間どり、2年以上がかかってしまった。その間にも、ディーゼル動車のバス化はどんどん進んでいたような気がする。2両、3両といった編成が減り、1両で運行する路線が多くなっていたのだ。

 あるとき、運転手は列車を停め、車両から降りると、その先にあるポイントを自分で切り替えていた。そして列車を進ませると、またポイントをもとに戻す。その姿は、路上の障害物をどかすバスの運転手に似ていた。路線にもよるが、ポイント切り替えは別の駅員が行うという鉄道の連携プレーがなくなっていた。

 モンユワからボディタタウンに向かう列車も、線路脇に広がる市場では数メートルおきに停車した。そこでおばさんが売り物の野菜を担いで降りていく。きっと停まった場所が、彼女が店を広げる場所なのだ。もうこうなると、駅の意味はなくなってしまう。

 ミャンマーに渡った日本の中古車両。乗り込むと、僕の世代は懐かしさがこみあげてくる。しかしもう列車ではないのかもしれない。バスになって生き延びようとしているということか。

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