「おや?」と思って立ち止まる。そしてはじまる旅の迷路――。バックパッカーの神様とも呼ばれる、旅行作家・下川裕治氏が、世界を歩き、食べ、見て、乗って悩む謎解き連載「旅をせんとや生まれけむ」。第4回は「先住民とキリスト教」について。
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以前、タイのバンコクでタイ語を習っていた。キリスト教系の学校ということもあったのだが、クラスメートの大半は宣教師だった。アメリカ人とイタリア人が多かった。
宣教師はそういう訓練を受けるのかどうかはわからないが、人あたりがいい。満面の笑み、穏やかな口調……体から善良さがあふれていた。バンコクの繁華街で深夜まで酒を飲むような僕とは、生きている世界が違った。
彼らは3カ月間タイ語を習うと、タイの山間部に赴任していった。少数民族への布教が目的だった。彼らの口からそう聞いたとき、引っかかるものがあった。バンコクに暮らすタイ族ではなく、タイの辺境に暮らす少数民族なのか……と。
今年の5月、台湾の山間部にある先住民の村をわたり歩いていた。 辺境の温泉を探して浸かっていくことが目的だった。いくつかの温泉を訪ね、日が暮れた頃、先住民の村に入る。そこで目にする十字架に戸惑っていた。教会の正面に掲げられた十字架が、暗い村のなかで煌々と輝いているのだ。