そして、こんな駄文と比べるべくもないが、最近読んだ翻訳小説で強く胸を打たれのは、ソナーリ・デヤニヤガラの『波』という長編作品。ロンドン在住の経済学者であるスリランカ生まれの彼女は、2004年のクリスマス翌日にスリランカを襲った大津波で、ビーチリゾートにバカンスに来ていた家族――夫と2人の息子、両親の5人すべてを一度に喪い、ただ一人生き延びた。本書はその壮絶な回想録だ。そのあとがきにこんな一文がある。「『波』を書くことは、家族を失ったことから生き延びる助けになりました。(中略)書くことを通して家族を蘇らせ、私は回復することができた。私の家族への愛がなくなる必要はないし、なくなることはないのだと、わかったのです」。ここまでの絶望を味わいながらも、のたうちながら何年もかけて少しずつ再生されていくその過程に、私は幾度も頁を閉じて涙した。ただ生きるということが残酷なまでの試練になるとき、「書く」という作業が彼女を救う。私も末端ながらその一人であったのは間違いない。
私の人生は、私が生をまっとうするまでは続く。恋人や家族、友人や猫を愛し、仕事に励みながら歩む中で、私にできることを一つ見つけた。それはボツイチの再生を手伝うことだ。まずすぐ身近には母というボツイチ1年生がいる。敬愛し人生のすべてだった夫である私の父を亡くしてから、彼女も半分亡霊のような人生を揺蕩って、なんとか立ち直ろうともがいている。それから、先日親友の友人で紹介されたKさん。美しく若い彼女も最愛の夫を亡くし、今なお失意のどん底だ。泣きながら夫の想い出を語る彼女に耳を傾けながら、「あのときの自分と一緒だ」と、私も泣いた。人間は共感されることで癒される。私は、その共鳴体となって癒す存在になれたら。それが私の使命かもしれない……とおこがましいことを考えるようになった。
いま私の隣には、半分の魂で生きる私と一体化したトウチャンまでまとめて受け入れてくれる恋人「アニキ」がいる。さて、私は死んだら、ずっと望んでいたようにトウチャンを散骨した湘南の海に追いかけるのか(散骨ポイントの緯度と経度の証明書は部屋に飾ってある)、それともアニキと一緒にどこかに収まることになるのか。まだ心は決めかねたままだが、とりあえずはその日が来るまでは前をむいて、時々は後ろも振り返りながら与えられた運命を全うするしかないのだ。
――1年間も私のリハビリ原稿に付き合ってくださった読者のみなさん、本当にありがとうございました。この連載は今回が最後です。おかげさまでボツイチ54歳、4年かけてなんとか再生しましたことをここにお知らせします。