翌シーズンも心臓発作に悩まされた江夏は、医師から「タバコか酒か女か麻雀か、このうち最低ひとつでも手を引かないと、将来心臓に重大なトラブルが起こる」と“究極の選択”を迫られたのを機に、「それならば」と禁酒を誓い、以来、アルコールを1滴も口にすることなく、心臓病を克服している。

 71年のオールスター第1戦で9者連続三振の快挙を達成した江夏は、オールスター明け後も絶好調だった。

 後半戦がスタートして最初の登板となった7月27日の大洋戦(川崎)では、2安打13奪三振でシーズン初完封。「今日やられたら、“あいつはオールスター戦で良かったのに”と言われる。それが怖かった」とオールスター戦以上に気合を入れての快投だった。

 さらに8月6日のヤクルト戦(神宮)でも3安打10奪三振で2試合連続完封。チームも2年ぶりの6連勝と波に乗った。

 そして、3試合連続完封がかかった同10日の広島戦(広島)、中3日の先発となった江夏は1回、先頭打者の水谷実雄にカウント1-1から高めの球を左越え本塁打される。

 いきなり連続完封記録がストップという波乱の立ち上がりだったが、このあとが江夏らしい。6、9回を除く毎回三振を記録し、許したのは3四球のみ。2対1で完投勝利を収めたのだ。

 広島は2回以降二塁を踏むこともできず、水谷の先制ソロのみのわずか1安打、スミイチに抑えられてしまった。初回の先頭打者弾がなければ、もちろんノーヒットノーランだ。

 前年も中日戦で34打者連続アウトという史上初の快挙を達成したのをはじめ、1安打ピッチングを5度(延長戦の9回までを含む)も記録した江夏が、ここまで1度もノーヒットノーランを達成していなかったという事実は、意外と言うほかない。

 そんな江夏が待望のノーヒットノーランを達成したのは、73年8月30日の中日戦(甲子園)。

 この日の江夏は4回に死球、5回に四球の走者を許しただけ。いずれも2死後という危なげのない投球で9回まで投げきった。ふつうなら、この時点でノーヒットノーランである。

 しかし、阪神打線も松本幸行のカーブにタイミングが合わず、9回まで散発の3安打に抑えられ、0対0のまま延長戦へ。

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「野球は一人でもできる」発言は記者の“造語”