阪神時代の江夏豊投手=1975年5月24日撮影 (c)朝日新聞社
阪神時代の江夏豊投手=1975年5月24日撮影 (c)朝日新聞社
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 2019年シーズンも開幕まで約1カ月となり、今季の展望に思いを巡らせる今日この頃だが、懐かしいプロ野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、現役時代に数々の伝説を残したプロ野球OBにまつわる“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「記憶にも記録にも残る男・江夏豊編」だ。

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 投手が初回から打者を27人連続アウトに仕留めれば、完全試合になる。

 ところが、阪神時代の江夏豊は、34人の打者を連続アウトに打ち取りながら、完全試合にならなかったばかりか、負け投手になるという悲運を味わっている。

 1970年9月26日の中日戦(甲子園)、江夏は2回に6番・高木守道に二塁内野安打を許しただけで、9回まで被安打1の無失点。ふつうなら1安打完封勝利でも何ら不思議のないケースだが、阪神打線も中日の先発・田辺修を攻略できず、ゼロ行進。9回1死一、二塁のサヨナラ機も生かすことができず、0対0のまま延長戦に突入した。

 江夏は10回以降も気迫の投球で安打を許さない。10回裏には自ら左前安打を放ったが、後続が凡退。12回1死一、二塁のチャンスも、あと一打が出ない。

 苦しみに耐えて投げつづけていた江夏は13回、菱川章を捕飛に打ち取り、2死になった直後、心臓発作を起こして突然マウンドにしゃがみ込んでしまった。

 実は、江夏は7月末から何度も心臓発作を起こし、病院通いが続いていた。原因は肉体的、精神的過労。江夏が登板する日に限って、再三チャンスをつくりながら、なかなか得点できない味方打線が深刻な影響を及ぼしているのは、明らかだった。

 気力を奮い起こして再び立ち上がった江夏は、10球もかけて4番・ミラーを三振に打ち取り、ついに打者34人連続アウトという史上初の快挙を成し遂げる。だが、その裏、阪神は2死二塁のチャンスをつくるも、またしても無得点。

 そして迎えた14回、体力も気力も限界に達した江夏は、カウント3-1からの166球目、力のないストレートを木俣達彦に左翼スタンドに運ばれ、無念の降板となった。その裏、阪神打線は、エースがダウンしても一向に目を覚ます気配がなく、無死二塁のチャンスも後続が凡退し、0対1。江夏は被安打わずか2で負け投手になった。

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球宴での伝説的投球後も快投連発