そんな人生を過ごされてきた久美子さんが、こんなはずじゃなかったと思うのはおかしなことではないと思います。同時に、そう思ったところで久美子さんの過去は変わりませんし、今後もそう思いながら貴重な時間を使っていくことになると思われます。これは、厳しい言い方ですが、ご自分の人生の40年を受け止めず否認しているともいえます。
久美子さんの立場に立てば、気が付いたら、自分の人生に残された健康寿命はあと10年しかない、というのはあまりに冷酷な現実です。思い通りにならなかったことを恨み続けるのは自由ですが、久美子さんをその冷酷な現実から救ってあげることは誰もできません。
残りの10年、夫を恨み続けるのも自由だし、失ってしまった40年を深い悲しみとともにあきらめて(心理学的にはあきらめるためには、十分に悲しむことが必要です)、残された時間をどう生きるか考えるのも自由です。そして、選択を積極的にしたものでも、「他に道がなかった」としても、結果は常に自分に帰属します。それが、自分の人生に対する責任、自己責任、だと私は思います。
かたや、何人かの論客がおっしゃる「自己責任論」は似て非なるものです。危険なのを承知で本来行くべきでないところに行ったのだから、国が助けてやる必要はない(なかった)という意見は、私にはどうしても、へまをした人を罰する論調のように聞こえてしまいます。
オンラインゲームで家のお金に手をつけてしまった徳郎さん(仮名、30代会社員)は、小遣いを月5千円に減らされてしまいました。徳郎さんも妻も口をそろえて、
「自己責任なのだから仕方ない」
と言います。
別のケースで、浮気がばれた陽太さん(仮名、40代、営業職)は、常にGPSで居場所を監視され、カードの明細や銀行口座はもちろん、LINEもメールもすべて妻に開示する義務を課せられています。
陽太さんも、
「自分の責任ですから……」
と言います。
お2人の状況もなかなか苦しいですが、へまをした夫を妻が責めている構図なのでまだましといえそうです。良い悪いを別にすれば、逆切れする余地もあるからです。しかし、淳二さん(仮名、30代、会社経営)のケースはいたたまれない気持ちになりました。