ご本人によれば、疲れて夜遅く帰ってきても、妻の気に入らないことがあれば、徹夜で責められるそうです。数日前も、会社帰りにヨーグルト買ってきてと言われていたのを忘れてしまい、「今から買ってくるよ」と言っても、一度怒り出した妻は止まりませんでした。私に愛情がないからだとか、人間性に問題があるとか、過去のあの時もそうだったとか、とにかくたっぷり昼寝した妻が眠くなるまで責められ続けるそうです。疲れてうとうとしてしまうと、そのことがまた妻の怒りに油を注ぎます。そんな日々を過ごしている淳二さんがおっしゃったことも、
「あんなやつですけど、いいと思って結婚したのは自分の責任ですから」
でした。淳二さんのケースは、逃げ道がありません。
自己責任の名のもとでは失敗が許されず、機械のように生きなければならなくなり、息苦しくなります。にもかかわらず、世の中はどんどん自己責任論を強めているように思えます。
人はいろいろな事情でへまをしてしまうことがあります。そんな時、世の中からは糾弾されることがあっても、少なくとも一人、自分の味方がいてくれるという安心感。それこそが、夫婦の大きな価値のように思うのです。しかし、実際には社会の縮図のような夫婦が多くなってきている気がします。
お金を使い込んでも、浮気をしても許しなさい、と言っているわけではありません。ただ、「自己責任」の名のもとに、罰を与えることは一種の思考停止です。それによって問題が解決する方向に状況が動いたり、ましてや夫婦でいることの価値が増すようには思えないのです。
この人を選んでしまったのは自分の責任なのだから仕方ない、と考える代わりに、自分は自分の人生を生きているだろうか?と考えてみてはどうでしょうか。何か気付くことがあるかもしれません。(文/西澤寿樹)
※事例は事実をもとに再構成しています