わたしの「子どもを持つことの恐怖」はその後もおさまることなく、37歳で雑誌の編集長になったときには「いま子どもを産むと、女性編集長はこれだから、と思われる」という、男女雇用機会均等法の申し子としての責任感を背負うようなかたちで、出産への葛藤が消えたのだった。いまでこそ女性編集者・編集長たちが軽やかに出産して職場復帰を遂げ、子育てと両立させている逞しい姿を当たり前のように社内で見かけるのだが、私の頃はまだ、その轍が薄い道を歩いており、かといって、地方出身者で周りに頼むものなし、の私にはその轍を濃くする勇気も状況でもなかった。しかし、これはいまもって後悔はしていない。あの時の私はやるべきことはやった、そう思わなければやるせないではないか。

 だから、トウチャンに離婚歴があって、成人したお子さんが2人いてくれたことは私にとってはよかった。子どもが小さいときに離婚していたトウチャンは子育てをまともにしていないので「子どもが生まれたら麻雀も競輪もやめて子育てする。今度は俺が一から育ててみたいんだ」という気持ちがあったようなのだが、ギャンブル中毒の彼のそんな甘言に弄されるほど純でもない私は心のなかで「絶対ウソ」と毒づき、そういう気持ちが私たちのセックスレスにも繋がっていった。

 芸能人であっても身近な友人であっても、軽やかに笑顔で「妊娠した」ことを告げる女性たちを見る度に、「なんて強いんだろう」「なんて愛情深いんだろう」と感嘆する。素晴らしいことだ。私は結局その恐怖から逃れることができないままこの年になった。「子どもがいないと老後寂しいですよ」と言われ続けてきた老後は、もう、目の前だ。

 つい最近、あるボツイチの大先輩に出会った。70代後半だという彼女は子どもが3人いて、孫も5人いるという。6年前にご主人を失くされたというその美しい先輩に「お孫さんまでたくさんいて、私と違ってお寂しくないですね」と問いかけたら「いいえ、子どもや孫が何人いても寂しいです。やっぱり何でも話し合える人生のパートナーがいないとねぇ。普段は言わないけど、実は、私もまだちょっとだけ、恋を諦めていないのよ」と微笑まれた。

『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』の著者である小谷みどりさん(偶然にも大学の後輩だった!)も子どものいないボツイチだ。彼女に「子どもがいるボツイチといないボツイチは一番どこが違いますか」と尋ねたら「誰のために生きるか、というモチベーションです」と即答された。そうか、子どものために生きる、という選択肢を捨ててしまった私は誰のために生きるのか。それはもう自分のためでしかないではないか。没歴7年の彼女も同じく「自分のために生きる」選択をし、現在フィリピンで5人の貧しい子どもに送金し、今年50歳になるのを契機に会社を辞め、今後はカンボジアでパンを作りながら仕事のない若者の雇用支援を行うという。ボツイチパワー恐るべし。産めなかった私にも、まだ、ほかの子どもたちのためにできることがあるのかもしれない。

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