「8050問題」「子どもリスク」などという言葉を最近よく目にする。現在15歳から39歳で全国に約54万人引きこもりの若者がいて、40歳以上は統計がないけれど、それをあわせたら実は100万人を超えている、という説もあるほど。「8050問題」というのは80歳の老いた親が50歳の無職の子どもの生活の面倒を見るということから来た言葉で、この状態から、老いた親が子どもの将来を悲観して命を奪う、などという無残な事件も発生している。わが子を殺めるなんて、どれだけの苦しみを背負っていたのか、想像に難くない。漫画化もされている押川剛さんの『「子供を殺してください」という親たち』や『子供の死を祈る親たち』などを読むにつけ、ヘタなホラー小説よりよほど背筋が凍る思いがした。
【究極の少子化推進キャンペーンとなった少年Aによる神戸連続児童殺傷事件】
かくいう私には子どもはいない。25歳でした最初の結婚は4年半で破局したが、そのときも「いらない」という姿勢を貫いていた。仕事がちょうど面白くてたまらない時期だったし、なにより、子どもを持つことが心底怖かったのだ。
怖かったのには2つ理由がある。まず1つ目の理由が、「自分に似たらどうしよう」「どんな子でも自分の子ならというだけで本当に愛せるのか」という不安。物心ついた頃から親に嘘ついてばかりの隠し事の多いイヤなマセガキだった。今思い出してもあの頃には絶対に戻りたくない。でも、子どもがもし自分に似てしまったら?そんな可愛げのない子どもを果たして愛せるのか、うまく育てる自信がどうしてももてなかった。
2つ目の理由は、よしんば愛せて一所懸命育てたとして。その子がもしよからぬ方向にグレてしまったら? 引きこもりになったら? 人に迷惑をかけたら? もっといえば、誰かを殺めてしまったりしたら? ……そんな恐怖の問いかけに輪をかけるよう、入社した翌年の1988年には名古屋アベック殺人、続いて綾瀬の女子高生コンクリート詰め殺人など、次から次へと凶悪な少年犯罪が起こり、1989年に結婚した時には、まったく子どもを欲しいとは思わなくなっていた。極めつけは1997年の少年Aによる神戸連続児童殺傷事件…。その当時私は32歳で、トウチャンと一緒に住みだしてすぐだったのだが、「俺の子を産んでくれ」というトウチャンの申し出にどうしても応えることができなかった。これら一連の少年犯罪はある種「究極の少子化推進キャンペーン」のようなものだったと思っている。凶悪な少年犯罪はその後もとどまることを知らず、最近でも中学3年の男子生徒が自分の祖父母を殺傷するという痛ましい事件まで起こった。