最近になって、柴山文科大臣は「アレンジ」発言をこう軌道修正した。
「教育勅語を復活させようと言ったわけではない。国として積極的に推奨する準備を進めているとは言っていない」(17年10月5日の会見)
アレンジするにしても、教育勅語を「復活」させることが前提となろう。
自民党のなかには教育勅語復活を唱える議員がいる。その場合、たとえば、こんなスジ論を立てる学者がいた。
保守派の論客、小堀桂一郎・東京大名誉教授だ。
<是も亦国家主権意識確立の重要な一項となるべきものなのだが、具体的に言へば先づ教育基本法の廃棄、次いで教育勅語排除・失効国会決議(昭和二十三年六月衆・参両院)の取消を宣言し、教育勅語を復活させることである>(「正論」03年11月号)
1948年、国会は教育勅語の「排除」「失効確認」を決議した。いまからちょうど70年前、なぜ、このような決議がなされたか、今日それをどのように解釈したらいいのか。教育勅語が国からダメ出しされた歴史的経緯、背景をまず学ばなければならないだろう。
ウィンストン・チャーチルにこんな名言がある。
「歴史から教訓を学ばぬ者は、過ちを繰り返して滅びる」
こうならないことを祈る。
(文/小林哲夫・教育ジャーナリスト)