このやりとりについて、全国新聞ネット「47NEWS」で、共同通信編集委員佐々木央が前川氏への取材をもとに次のようにまとめている(18年10月5日)。
<前川さんは『当時の下村博文文科相に答弁を書き換えさせられた』と明かす。
舞台は同年4月8日の参院文教科学委員会。「教育勅語を学校で使うべきだという姿勢の議員から質問通告があった。教育勅語は戦後の憲法体制にはそぐわないもので、衆参両院で無効確認・失効の決議が行われているというのが従来の文科省の考え方。だから『教育勅語を学校教育で扱うことについては慎重でなければならない』という趣旨の答弁案をつくりました」
質問通告では、議員は局長の答弁を求めていた。大臣はふつう局長答弁まで見せろとは言わないが、下村大臣は目を通す。当日の朝、答弁案を示すと「これじゃあ駄目だ」と突き返され、書き換えるよう求められた。
書き換えは根幹部分だった。「教育勅語の普遍的な内容に着目して学校教育で扱うことは差し支えない」という文言に変わったのだ。教材としての活用を事実上否定する「慎重でなければならない」から、全面肯定の「差し支えない」へ。
だが、答弁に立った前川さんは「やっぱり『差し支えない』とまでは言い切れなかったんです。だから言葉を濁した」>
それが、「考えられるというふうに考えております」という、校正で赤字が絶対に入れられるような答弁となる。
前川氏は著書でこう記している。
<教育勅語は1948年に国会で憲法・教育基本法と相容れないものとして排除・失効確認が決議されているのであるから、「憲法・教育基本法に反しないような形」で用いる余地はないと考えるべきである。この閣議決定は、教育勅語の憲法・教育基本法に反しない使い方があるとする点で、国会決議を覆すものであり、教育勅語との関係において憲法解釈を変更する意味を持っているといえよう>(『面従腹背』毎日新聞出版)
排除・失効確認決議に従えば学校で教育勅語を扱うことはできない。国会決議の重みを軽視してはいけない、と読みとれる。