ふぐだし潮 八代目けいすけ 東急プラザ店/〒104-0061 東京都中央区銀座5-2-1 東急プラザ地下2F/11:00~22:00(LO 21:30)【金土】11:00~22:30(LO 22:00)/筆者撮影
ふぐだし潮 八代目けいすけ 東急プラザ店/〒104-0061 東京都中央区銀座5-2-1 東急プラザ地下2F/11:00~22:00(LO 21:30)【金土】11:00~22:30(LO 22:00)/筆者撮影

■「若さで乗り切ってきた」 ラーメン界の革命児が明かす多店舗展開の裏側

「けいすけ」。フレンチや和食出身の店主・竹田敬介さんがその幅広い経験から考案するラーメンは、どれも新しく挑戦的で、業界の革命児と呼ばれる存在だ。東京と千葉に6店舗を展開し、海外にも進出するワールドワイドな店である。

 広島出身の竹田さんは、幼い頃は父が転勤族で各地を転々としたという。その後、調理師学校に入るために新潟・長岡へ。17歳だった。中学卒業後に和食のお店でアルバイトを始め、飲食が働く場所として純粋に楽しかったのだという。

 調理師学校でたまたま一緒になったのが、のちに新潟ラーメン専門店の「我武者羅」を率いる蓮沼司さんだった。学校ではケンカばかりで、将来は見えてこず、料理をしっかり学べている感覚もなかったという。

 卒業後、結婚式場のレストランに入社。フレンチの技術を学び、今後の方向性を固める。その後、渋谷の老舗レストランに勤めたことで、さらにフレンチの世界にのめり込んだ。

ラーメン界の革命児・竹田敬介さん。和食やフレンチで腕を磨いた(筆者撮影)
ラーメン界の革命児・竹田敬介さん。和食やフレンチで腕を磨いた(筆者撮影)

 その後、知人の誘いを受け、蓮沼さんと2人、渋谷区・松濤にあるレストランのシェフとして働き始める。24歳で料理長に抜擢(ばってき)。テレビにも多数取り上げられ、一時は時の人になった。

 経験を積んで技術もあったが、考えはまだ甘かった。バブルの終わりとともにオーナーが店を続けられなくなり、倒産してしまう。八王子市にあるホテルの料理長に声をかけてもらい、副料理長として働いていたが、このままフレンチで独立できるのか不安な日々が続いていた。

 その頃は、飲食業界全体で見ると、中級クラスの居酒屋業態が元気だった。高級店ではないが、こだわりの料理を提供しているような店である。竹田さんは一度フレンチ以外の業態を経験することで、店作りや経営のノウハウを学ぶことにした。こうして18店舗を展開していた大手の居酒屋チェーンに入社する。27歳だった。

 居酒屋チェーンはその料理技術よりも、マニュアルがしっかり整備されていて、技術がなくてもおいしい料理が作れるシステムになっていた。竹田さんは自らの経験を生かしつつ、みるみる出世をし、2年で本社の料理開発担当に抜擢された。その後、新ブランドの立ち上げも担当し、34歳で退職するまで経営のノウハウをしっかり学ぶことができた。

「八代目けいすけ」が入る東急プラザ銀座店(筆者撮影)
「八代目けいすけ」が入る東急プラザ銀座店(筆者撮影)

 いよいよ独立に向け動き始め、1年間の準備期間の後、04年3月、千代田区・神田で居酒屋「和食・炭火焼 美味川柳 炭香」をオープンした。「炭」をテーマにした店で、オープンから徐々に客足を伸ばし、9月頃からは利益が出始めた。店が軌道に乗り始めると、次はラーメン店の開業に向けて動き出した。もともとラーメンが好きで、食べに行っては味を再現していた竹田さん。初期投資のハードルがそれほど高くないこともあり、開店を決めた。

次のページ
「80点のラーメンに2度目はない」