■健康よりも北方領土交渉を選ぶ

 7年8ヵ月のモスクワ勤務を終えて、1995年4月から外務本省の国際情報局で勤務することになった。ロシア情報の収集や分析、北方領土交渉で、土日を含め毎日働くような状態が続いた。ロシアにも年に十数回は出張した。月の超勤時間が300時間を超えることも珍しくなかった。体重は100~120キロの間で変動した。

 1996年秋、急性扁桃炎で高熱が続き、喉に激痛が走ったので、外務省の官舎のそばにあった船橋済生病院に入院した。その際に尿たんぱくがかなりでていてIgA腎症の疑いがあるということで、専門医を紹介されたが、一度診察を受けただけで、受診しなくなってしまった。当時の私には、健康よりも北方領土交渉のほうがはるかに重要だった。1998年5月の連休に再び扁桃腺炎で高熱が続き、喉に激痛が走った。このときに東京女子医大病院の耳鼻科に入院した。このときに東京女子医大病院との縁ができる。

 それからしばらくは病院とはほとんど縁のない生活をしていた。

 鈴木宗男事件の渦に巻き込まれたストレスで、2002年1月には105キロだった体重が5月14日の逮捕時には70キロに激減していた。2003年10月に保釈されたときは若干太り、75キロになっていた。

■丸茂医院から女子医大へ
 

人工透析を行う透析室の例
提供:つくば腎クリニック
人工透析を行う透析室の例 提供:つくば腎クリニック

 2004年春からは婚約者(現在の妻)と国分寺市に住むようになった。裁判を抱えながら、2005年3月にはデビュー作『国家の罠──外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)を上梓し、作家として第2の人生を始めた。

 ときどき扁桃腺を腫らし、西国分寺駅そばの丸茂医院に通院するようになった。丸茂菊男先生は慶應義塾大学医学部の卒業で、当時80代だったが、頭脳も明晰で手先も器用な名医だった。私と妻は2005年5月に入籍し、2009年春には新宿に引っ越した。ただし、かかりつけ医は丸茂先生のままだった。

 2010年1月に丸茂先生から慢性腎臓病が進行している可能性があるので、大学病院で診てもらうといいと言われた。丸茂先生が書いた同年1月21日付の診断書から1部を引用する。

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傷病名:(1)高血圧症、(2)高脂血症、(3)高尿酸血症、(4)肥満、(5)糖尿病、(6)ネフローゼの疑い、(7)尿崩症の疑い

紹介目的 平成16(2004)年5月より上記(1)~(5)を治療中でしたが、21(2009)年夏より下肢浮腫、尿蛋白強くなり、24時間蓄尿検査にて(6)(7)が疑われますので御高診宜よろしくお願いします。

症状経過及び検査結果 平成16(2004)年5月、上気道炎症状により来院、血圧150/110、肥満85キロ、身長167センチメートル、血液検査により(2)(3)判明

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