海外トップ大の多くが採用する全寮制。その良さを知る留学者たちが、日本で「学寮」を再現する動きがある。吉見俊哉・東京大学大学院教授は、「必然」と指摘する。AERA 2021年9月20日号で、吉見教授が海外と日本の大学の違いを語る。

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 ハーバード大など、海外に留学した若者たちが、日本の大学に「レジデンシャル・カレッジ」(学寮)が欠落していることに気づき、自分たちで東京に作ったことは面白い動きですし、必然だと思います。「寮」の知的共同体こそが大学の本質だからです。

 大学は12世紀のヨーロッパで、生活を共にする「教師と学生の協同組合」として始まりました。彼らは旅人で、移動によって生じる異なる文化や価値のぶつかり合いの中から知的創造が生まれました。これが全寮制で、リベラルアーツを学ぶ「カレッジ」に発展し、英国のオックスフォード大やケンブリッジ大は約800年間続いています。

 現代の大学は「カレッジ」を土台に、学部など専門領域の連合体の「ファカルティ」と大学全体を司る「ユニバーシティ」が加わった三つの機能から成り立っています。

 ところが日本の大学には「カレッジ」がない。学部の集合体だけなのです。明治期に大学を設立する際、「欧米の最新知識をいち早く採り入れ伝えること」を目的とし、共同体から「知」を生み出すという発想がなかったからです。

 コロナ禍で、米国のミネルバ大が注目されました。キャンパスを持たず、授業は全てオンライン。ただし、学生は全員寮生活を送り、七つの都市を移動します。先端を行く大学も、寮の「共同体」を大事だと考えているのです。

 日本の大学は「カレッジ」を持たないまま、小手先の改革に疲弊し、失速するばかりです。カレッジに代わる、教師と学生の「創造的な共同体」をいかに構築するか。今こそ本質的な議論が必要です。

AERA 2021年9月20日号