2日目午前。両者の研究範囲からはずれたところで、インターネットテレビ「ABEMA(アベマ)」の中継は、豊島の「勝率」を「70%」と表示していた。これはAIの評価値から換算される数字で、観戦者の認識はそこに大きく影響を受ける。しかし対局者の肌感覚は違うようだ。渡辺は言う。

「両者に後手勝率70%という体感はないはずです。後手がチャンスだったかもしれないけど、玉と飛車が接近する悪形だから、どの手順も嫌味が残る」

 進んで豊島は、AIが指摘していた最善の順を逃す。それはトップクラスであっても、いかにも人間が選びづらい順だった。

「AIが指摘していたのはリスキーな勝負手。事前に研究して知らなければ、浮かびにくいですね」(渡辺)

 藤井は相手陣の悪形をとがめ優位に立つ。そしてそのまま、勝利をつかんだ。

「第2局と違って第3局は全然『逆転』って感じではないですね。先手がむしろ勝ちやすさを生かしてそのまま押し切ったという印象です」(渡辺)

■スプリント勝負も制す

 王位戦七番勝負は藤井が2勝1敗とリード。その時点で、渡辺に今後の豊島-藤井戦の展望を尋ねた。

「豊島さんもたぶん修正は入れてくるんですよね。もうちょっと時間を残そうとか。それでどうなっていくかですよね」

 豊島叡王に藤井挑戦者がいどむ叡王戦五番勝負は、1日制で持ち時間4時間。さらには1分未満切り捨てのストップウォッチ方式ではなく、すべての消費時間がカウントされるチェスクロック方式だ。タイトル戦番勝負の中では実質的にもっとも時間設定が短い。

「王位戦より時間が短いので、最後にスプリント勝負になったときのことを豊島さんは考えると思います。僕は棋聖戦で、チェスクロじゃないけど4時間だった。最後は残り1時間を切ってスプリント勝負になるんですけど、それは早指し棋戦にも強い藤井君の得意分野なんです。でも残り1時間を切る前にカタをつけるっていうのは難易度が高すぎて私には無理でした(笑)」

 7月25日におこなわれた叡王戦第1局。先手となった藤井はまたもや角換わりを採用した。そして従来のソフトが最善とは示さず、DL系のソフトが最善とする手で動いていく。途中までは形勢ほぼ互角。そして両者残り1時間を切った終盤で藤井が競り勝って、勝利を収めた。

 渡辺、豊島、藤井のトップ3者は「三すくみ」の状態でパワーバランスが生じていた。藤井が豊島に追いつき、追い越すことになれば、本格的な「藤井1強」の時代が見えてくる。豊島はここで踏みとどまれるのか。夏の熱く長い戦いは続いていく。

(ライター・松本博文)

AERA 2021年8月9日号

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松本博文

松本博文

フリーの将棋ライター。東京大学将棋部OB。主な著書に『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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