市内には将棋道場があり、姉妹で通った。
「帰りは母が車で迎えに来てくれるんですけど、行きは二人でバスに乗るんです。まだ小学生だから、私はやっぱりドキドキするんですけど、宏美はただついてくるだけで(笑)。でも二人だったから、やっぱり心強かったんでしょうね。道場では席主の先生にかわいがってもらいました。お客さんのラーメンを出前で頼むとき、『彰子ちゃん、宏美ちゃんも食べる?』ってごちそうしてくれたり。私たちは灰皿を片付ける係をしていました」
休日には父の車で将棋会館(東京都渋谷区)まで他流試合に行った。帰りの車中、父は娘の指し手に意見を述べる。強気な彰子は反発した。
「父とは駒落ち(ハンディあり)から始めて、中学生ぐらいで平手(ハンディなし)で勝てるようになりました」
当時、将棋を指す女の子はまだあまりいなかった。
「大会で女の子が2人いるのは目立っていたと思います。『どんな将棋を指してるんだろう』とギャラリーができたりしました」
姉と妹はライバルで、家ではよく指した。
※AERA 2021年7月12日号より一部抜粋
(構成/ライター・松本博文)