東京都府中市で生まれ育った中倉彰子(左)と宏美(右)。地元・大國魂神社の節分祭では、ずっと豆まき役を務めている
東京都府中市で生まれ育った中倉彰子(左)と宏美(右)。地元・大國魂神社の節分祭では、ずっと豆まき役を務めている

 AERAの将棋連載「棋承転結」では、当代を代表する人気棋士らが月替わりで登場します。毎回一つのテーマについて語ってもらい、棋士たちの発想の秘密や思考法のヒントを探ります。渡辺明三冠(名人、棋王、王将)、森内俊之九段(十八世名人資格者)、「初代女流名人」の蛸島彰子女流六段に続く4人目は、「将棋界初の姉妹女流棋士」の中倉彰子女流二段です。本日発行の7月12日号に掲載したインタビューのテーマは「私のライバル」。



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「名前の由来は、尊敬する蛸島彰子先生(75)からです」

 1977年。中倉彰子は東京都下の府中市で生まれた。将棋好きでアマ三段の父は、当時の女流名人にちなんで娘の名を決めた。2年後の79年には妹の宏美が生まれる。

「宏美は岩崎宏美さんにちなんでいる……と言われますが、それは都市伝説です(笑)。本当は身近に『宏』とつく名前の人に頭のいい人が多かった、という謎の理由からです」

 将棋好きの父が娘に教えるのはよくあるパターン。ただし、中倉家の父は、ことのほか娘への指導に熱心だった。

「父は凝り性で、娘に教えることにはまった感じでした」

 父は姉妹の興味が続くように、いろいろな工夫をする。家の柱に詰将棋を貼り、娘たちに解かせるなどした。

「何かを達成すればごほうびもありました。でも柱の詰将棋を解かないと、外に遊びに行けないんです。中にはどうしても解けない問題があって。答えがどこか載ってないか、宏美と家中の将棋の本を探したことがありました。でもやっぱり探すより、考えたほうが早かったです(笑)」

 幼い姉妹は父の教えをよく守り、成長していく。彰子は現在2女1男の母となった。自身の幼い頃を思い出し、改めて驚くことがある。

「自分の子どもたちは、親の私の言うことを聞かないんです(苦笑)。でも私と宏美は父の言うことをちゃんと聞いていたなって。小さいときに始めたから、父の言うことを守るのが自然だったんです」

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松本博文

松本博文

フリーの将棋ライター。東京大学将棋部OB。主な著書に『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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「大会で女の子2人でいるのは…」