――誰かに相談したり、「SOS」を出したりすることもなく、一人でもがいたのですか。

 チームは、コーチングスタッフやメディカルスタッフ、サポーティングスタッフと共に全員で戦っています。ただこの問題は、自分の中にあるわだかまりであり、納得がいかないことだったので、自分で抱えることにしました。

――自問自答して、その結果、どういう答えが出たのでしょう。

 あの采配は消すことはできない。しかし、次に進むためにも自分の中で整理をつけたいと思い、一夜明けた朝、選手やコーチ、スタッフら全員を集めて謝罪しました。
「負けを認めた中での戦いをさせ、素直に喜べない状況をつくってしまい申し訳なかった。責任は自分にある」と。だけど選手たちは「いや、そうじゃない」「判断は間違っていなかった」と言ってくれました。

――次のベルギー戦では歴史的死闘になりました。謝罪したことで気持ちの整理がつき、ベルギー戦に挑むことができたのでしょうか。

 選手たちも、同じベクトルを向いて戦おうという気持ちになってくれた。自問自答したことは、自分の中で貴重な経験値の一つになったと思います。

――今回は、初めてのA代表の監督でもありました。

 サッカー界の発展を考えなければいけないのが、A代表の使命。その中で監督は、一つひとつ決断を下していきます。メンバー選考しかり、戦略や戦術もしかりです。しかし、自分自身のこれまでの経験値がまったく通用しなかったのがA代表でした。選手たちは世界のトップクラブでプレーし、数々の国際試合を経験しています。そういう選手たちに対して、更に強いチャレンジが必要だった。だからそれを構築したかったし、いろんなアプローチを考えていこうという意欲が湧いてきた。

――メンバー選考では平均年齢の高さから「おっさんジャパン」と皮肉られ、壮行試合では連敗発進。会見に臨んだ西野さんの表情などを見ていると、重圧に押しつぶされ孤独と闘っているように見えました。

 年齢についてはまったく気にしませんでした。年齢は参考程度です。自分が描いている目標に対して、数週間後、1カ月後、どうか。予測しながら自分の目で評価して選手にはアプローチをかけますから、可能性があれば35歳であっても選出したでしょう。「おっさんジャパン」と言われても、自分も選手たちもまったく気にしていなかった。逆に、「反骨」というか、燃えるものをもらった、モチベーションを上げるための材料をもらった、という感じでしたね。

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