ここ数年だけでも、安倍政権の閣僚や官僚による「虚偽」まがいの答弁は枚挙にいとまがない。当然、野党からは批判を浴びてきた。4月11日の衆院予算委員会で、国民民主党(当時は希望の党)の玉木雄一郎代表が、「私、残念です。日本の総理がウソをついているかもしれないと思って質問するのは。でも、そういう疑念を持たざるを得ないのが現状だ」と指摘すると、安倍首相は問われてもいないのに、「ウソつきというなら証拠を示してもらわないといけない」と気色ばんだ。だが、前述のように「証拠」を出しても絶対に認めない。政治評論家の森田実氏は「こんな首相は前代未聞だ」と苦言を呈する。

「政治家たるもの『李下に冠を正さず』という信念を持ち、曲がりなりにもそれを前提に襟を正してきた。首相ならなおさらです。ところが、安倍首相は『疑うなら証拠を出せ』と裁判所の論理を政治に持ち込んだ。安倍首相が『証拠を出せ』と言うので、奉仕する役人たちは証拠を消すことを迫られる。それが財務省の公文書改竄という歴史的な事件を生み、自殺者まで出す悲劇を生んだ」

 官僚を取り巻く環境も大きく変化した。国家公務員制度改革の一環として、14年5月に「内閣人事局」が設置されると、各省庁の幹部職員の人事権は首相官邸に集中するようになった。それまでは各省庁の判断に委ねられていた審議官級以上の幹部職員約600人について、官房長官の下で人事局が幹部候補名簿を作成。最後は、首相と官房長官を交えた協議で決定する仕組みにした。だが、官僚が人事権を握る官邸しか見ずに仕事をするようになり、首相や閣僚の意向を過剰に「忖度」する危険性も指摘されてきた。元官僚で『没落するキャリア官僚』などの著書もある神戸学院大学の中野雅至教授(政治学)は、内閣人事局創設以降は「官僚の二極化が進んでいる」と語る。

「かつてはキャリアとノンキャリアという分類だったが、官邸に認められて首相や閣僚の秘書官などになる『スーパーエリート官僚』と『それ以外』で分断されている。官邸に呼ばれない官僚はキャリアでも出世は見込めない。一方で、スーパーエリートはこれまで以上に政権と同化しようとする。首相の意向とあれば無理な案件も通そうとするし、答弁に齟齬が生じないように国会でウソもつく。佐川さんも柳瀬さんも、論功行賞を期待しているというよりも『同調圧力』でがんじがらめになっている状態だと思います」

そのエリート官僚たちが「ない」と言っていた文書や面会の事実が、後に露呈するようになった背景には「それ以外」の官僚たちの防衛本能が働いている、と中野教授は言う。官邸の意向をくんでエリート官僚たちが無理筋な案件を通そうとした場合、累が及ぶ可能性があるのは交渉の現場に立つノンキャリアや中堅官僚たちだ。自分の身や省庁を守るためには、案件が動いた経緯や誰の意向だったのかを記録しておく必要がある。それゆえ、以前なら公的文書にならない内容でもメモとして残り、結果的にエリート官僚の「ウソ」の露呈につながっている。

「内閣人事局で官僚が分断された結果、官僚の文書主義は強まっている。必ずどこかにメモが保存されているので、皮肉だが、官僚のウソがバレる時代になったとも言える」(中野教授)

(編集部・作田裕史)

AERA 2018年6月11日号より抜粋