100歳で逝去された三笠宮さま 歴史家原武史に見せた素顔 (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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100歳で逝去された三笠宮さま 歴史家原武史に見せた素顔

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片桐圭子AERA#お悔やみ
昭和天皇(左端)、秩父宮さま(右端)、高松宮さま(右から2人目)と三笠宮さま。三笠宮さまは今年5月から東京都中央区の聖路加国際病院に入院していた。死因は心不全/1921年9月5日、栃木・日光田母沢御用邸で (c)朝日新聞社

昭和天皇(左端)、秩父宮さま(右端)、高松宮さま(右から2人目)と三笠宮さま。三笠宮さまは今年5月から東京都中央区の聖路加国際病院に入院していた。死因は心不全/1921年9月5日、栃木・日光田母沢御用邸で (c)朝日新聞社

 三笠宮崇仁(たかひと)さまが10月27日、亡くなられた。昭和天皇の末弟で天皇陛下の叔父。歴史家としても知られる。原武史さんが、その素顔を語った。

 東京・元赤坂にある赤坂御用地内の三笠宮邸で、歴史家の原武史さん(54)は三笠宮崇仁さまと1時間半にわたり向き合った。宮邸に入ってすぐのところにある応接室。紅茶と洋菓子が出されたと記憶している。10年ほど前のことだ。

 原さんがかかわったある本の記述について話がしたいと言われ、出版社の担当者らとともに宮邸に出向いた。部屋には三笠宮さまと原さんらだけで、宮内庁や宮家の職員が同席することはなかったという。

●タブーをつくらなかった

 三笠宮さまの指摘は、戦時中の記述に関するものだった。

 戦後、歴史研究に没頭した三笠宮さまは、2月11日の「紀元節」の祝日を「神武天皇即位の日」として復活させようという動きがあったときも、

「歴史的根拠がない」

 と反対した。かつて皇族が天皇家の歴史や正統性にかかわる古代史について語ることはなかったが、

「学者としてタブーをつくらず、事実に反することには厳しかった」

 と原さんは振り返る。

 三笠宮さまが編者として出版した『日本のあけぼの─建国と紀元をめぐって』(カッパ・ブックス)の冒頭には、

「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた」

 と書いている。歴史と真摯(しんし)に向き合おうとする姿勢は明らかだ。原さんが強く印象に残っているのは、宮邸を訪ねた際のこんなやりとりだ。

 当時、昭和天皇を主な研究対象としていた原さんは、三笠宮さまと直接話せる貴重な機会に、ぜひ聞きたいと思っていたことがあった。

「さまざまな資料から、昭和天皇と実母である貞明皇后の間には確執があるのではないか、と感じていました。その真偽を確かめたかった。昭和天皇の弟で、貞明皇后にとっては末息子にあたる三笠宮さまなら、本当のことを知っているだろうと思ったのです」


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