その後おふくろの絵からインスピレーションを得て、小説を書くようになりました。作品を挿絵として一緒に載せてね。親孝行というより、母に「子孝行」をしてもらっている気がします。絵を遺(のこ)してくれましたからね。

 僕の時代小説の挿絵は、親父が描いていたんです。でも100歳になる頃から筆が衰えてきて104歳で死んじゃった。息子のために絵を描いている、という張り合いがあったから長生きしたんでしょうね。

――2人の兄からも現在に至るまで、多大な影響を受けてきた。

 一番上の兄貴は出来が良くて、東大に現役で行ったんです。僕が開成中学に入るときも、兄貴が勉強を教えてくれた。2番目の兄貴は自由奔放な性格で、遊びはすべて次兄から教わったんです。いまやってることは全部、次兄の影響だと言ってもいい。西部劇やフィルム・ノワールが好きなのも、ギターも次兄がやり始めたのをまねした。次兄は好奇心は強いんだけど飽きっぽくて、いつもそのあとを引き継ぐんです。

 小説を書くことも次兄が教えてくれたんです。子どもの頃、「家庭新聞」を兄貴が作ってね、今週のニュースとかクイズとかを載せたり、兄貴がアルセーヌ・ルパンが好きでそれをまねた小説を書いたり。それをまねしたんです。中学1年の頃には授業中に小説を書いていた覚えがあります。

 僕には恩師といえる人がいないんですよ。唯一思い浮かぶのは、中学2年のときの担任かな。作文の時間に15分くらいで書き上げちゃったのを読んで、

「中君(本名)、君はなかなか文才があるね」

 って言ってくれたんです。嬉しくて耳に残っています。でも卒業後何年かして、クラス会があって「あのときの先生の言葉が忘れられない」と言ったら「そんなこと言った覚えはない」と(笑)。作家になってからも会ったけど、やっぱり覚えてないって言われました。

 もう一人、励ましてくれた人がいます。中学2年のとき隣の席だったS君。小説を書くとS君に見せて、彼が翌朝、裏に感想を書いてきてくれるんです。「君の小説には思想がない」「女の書きかたが下手だ」とか、いま思うと中学生が何を、って笑っちゃいますけど、彼も「君には文才があるから」と言い続けてくれました。S君はのちに朝日新聞社に入って、いまも交流があります。

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