――書くことは好きだったが、小説家になろう、とは思っていなかった。大学卒業後は博報堂に就職したが、第1志望ではなかった。

 朝日新聞社、文藝春秋社と落っこって博報堂に行ったんです。文章を書くのが好きだったから、コピーライターをしよう、と思ってたんだけど、研修のときの担当者は後にコラムニストとして活躍した天野祐吉さんだったんです。僕の文章を見て、

「こいつは短いコピーライトより長いものを書かせたほうがいい」

 と言われ、それで僕はPR本部に配属され、新聞や業界紙がそのまま使えるような文章をひたすら書きました。いま思えば、それで文章が磨かれた。天野さんも恩人の一人かもしれません。

――小説を書く大きなきっかけになったのは、フラメンコギターとスペイン旅行だった。

 ギターは高校を卒業する頃、2番目の兄貴の影響で始めたんです。大学の頃はギター三昧(ざんまい)でした。最初はクラシックギターをお決まりの「禁じられた遊び」から始めました。でも技術も難しいけれど理論も必要で、挫折しましてね。そんなときフラメンコギターに出会った。楽譜もなく耳で覚えるから、ピッタリだと思ってね。

 それでスペインに行くようになったんです。最初は71年かな。あの頃は一人旅でスペインに行く人間なんてほとんどいなかった。半年くらいNHKのスペイン語講座を聞いてね。辞書買ってきて、独習です。僕はなんでも独学で、人に習うのが好きじゃないんですね。かわいくないですよね(笑)。

――78年頃から、仕事の合間に『カディスの赤い星』の原型となる作品を書き始めた。主人公はPRマン、舞台はスペインで、スペイン内戦が絡む壮大なミステリー。自身の趣味と興味をすべてつぎ込んだ大長編になったが……。

 知り合いの編集者に「読んでみて」って渡したんです。でもコクヨの横書きの原稿用紙にシャープペンシルで書いた分厚い原稿って、読みにくくて一番編集者が嫌がるんですよ。それで何度か返されてきた。

「これはプロの作家にでもならないと、まともに読んでもらえないな」

 そう思って、それで小説の賞に応募し始めたんです。

次のページ