新風営法が施行されて半年が過ぎた東京・歌舞伎町。前後して「ノーパンしゃぶしゃぶ」がひそかに登場する=1985年8月 (c)朝日新聞社
新風営法が施行されて半年が過ぎた東京・歌舞伎町。前後して「ノーパンしゃぶしゃぶ」がひそかに登場する=1985年8月 (c)朝日新聞社
ノーパン喫茶の看板だらけになった繁華街=1981年4月、名古屋市 (c)朝日新聞社
ノーパン喫茶の看板だらけになった繁華街=1981年4月、名古屋市 (c)朝日新聞社
ノーパンしゃぶしゃぶなどの接待をめぐる収賄容疑で大蔵省(当時)を家宅捜索する東京地検特捜部=1998年1月27日 (c)朝日新聞社
ノーパンしゃぶしゃぶなどの接待をめぐる収賄容疑で大蔵省(当時)を家宅捜索する東京地検特捜部=1998年1月27日 (c)朝日新聞社

 社会風俗・民俗、放浪芸に造詣が深い、朝日新聞編集委員の小泉信一が、正統な歴史書に出てこない昭和史を大衆の視点からひもとく「裏昭和史探検」。今月7日には、本連載に加筆した単行本が刊行されたように、好評を博しているが、今回が最終回。ネタはまだまだあるんです。でもまあ、“日陰者”の企画ですから……。このへんで区切りをつけ、フーテンの寅さんのように、フッと消えていこうかな、と。最終回は、風俗との関係が深い「食」について語ってみよう。

【写真】「ノーパン喫茶の看板だらけになった繁華街」など(全3枚)

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 連綿と続いてきた昭和のフーゾク史。人間の欲望とは何か。歴史の教科書には出ない稗史だからこそ、振り返ってみる意義はあるに違いない。風俗が密接に関係を持ってきたのは「食」である。

 社会的インパクトという点で最も画期的だったのは、ノーパン喫茶だろう。スカートの下にパンツなんて邪魔なものがなかったら……そんな妄想が生んだ性ビジネスだった。

 昭和51(1976)年ごろ、日本初といわれるノーパン喫茶「ジャーニー」が千年の都・京都に登場した。伝説の雑誌「写真時代」の元編集長、末井昭さん(70)によると、ノーパン喫茶が出てくるまでは“玄人さん”の時代。いわば、「やくざと訳アリの女性」の世界だった。ところが、ノーパン喫茶の出現以後は“隣のお姉さん”のような素人が続々と参入してくる。

 当時をよく知る末井さんが振り返って言う。

「働いていた女性の時給も高かった。はやっている店だと2千円。1日3~4時間働けば1万円ぐらいにはなったんです」

 ノーパンの女性と客が抱き合い、カラダの間に挟んだ風船を移動させて楽しむ趣向の店もあったとか。首が痛くなるほど、スカートの中をのぞこうとした客もいただろう。

 あっという間にフーゾク業界を席巻したノーパン喫茶。一説によると、全国に1千軒はあった。たしかに北海道の東端、北方領土の島々を望む根室にもあった。東京をぐるりと回る山手線にも全29駅にそれぞれ店があったという。

 だが、コーヒーだけでは物足りない。腹も満たしたい。そこで、ノーパン喫茶は進化を遂げる。どうなったか。「ノーパンしゃぶしゃぶ」の登場である。

 例えば、東京・新宿の店。スカートをはいているが、ノーパンの女性が同席し、しゃぶしゃぶを作ってくれる。奇妙なことに、ウイスキーや焼酎などのアルコール類やミネラルウォーターが天井からぶらさがっていて──ここが“起業家”による重要なビジネスアイデアだが──水割りやロックを作るために女性が立ち上がると、センサーが作動するのである。

「下からフーッと風が舞い上がり、スカートがフワーッとめくれ上がる仕組み。スカートの中を難なく拝めるんです」

 ノーパンしゃぶしゃぶに行ったことがある友人は興奮気味にそう話す。

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