ノーパン牛丼、たこ焼きも…知られざる「グルメ風俗」の世界 (2/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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ノーパン牛丼、たこ焼きも…知られざる「グルメ風俗」の世界

週刊朝日
新風営法が施行されて半年が過ぎた東京・歌舞伎町。前後して「ノーパンしゃぶしゃぶ」がひそかに登場する=1985年8月 (c)朝日新聞社

新風営法が施行されて半年が過ぎた東京・歌舞伎町。前後して「ノーパンしゃぶしゃぶ」がひそかに登場する=1985年8月 (c)朝日新聞社

ノーパン喫茶の看板だらけになった繁華街=1981年4月、名古屋市 (c)朝日新聞社

ノーパン喫茶の看板だらけになった繁華街=1981年4月、名古屋市 (c)朝日新聞社

ノーパンしゃぶしゃぶなどの接待をめぐる収賄容疑で大蔵省(当時)を家宅捜索する東京地検特捜部=1998年1月27日 (c)朝日新聞社

ノーパンしゃぶしゃぶなどの接待をめぐる収賄容疑で大蔵省(当時)を家宅捜索する東京地検特捜部=1998年1月27日 (c)朝日新聞社

 品行方正な私は行ったことがないので、想像するしかないが、しゃぶしゃぶ自体はそんなにおいしくなかったのではなかろうか。

 あろうことか1998年、エリート銀行マンらによる大蔵官僚(当時)の接待として使われていたことが発覚。新聞、テレビで盛んに報じられ、お茶の間も含めて一気に注目を集めた。

 実は「ノーパンしゃぶしゃぶ」は、その10年以上前の85年ごろから若手官僚の間では静かなブームになっていた。職場で口にすることは絶対にタブー。飲み物代は別料金だろうが、2人分で5万円が相場だったとも言われている。

 元号に直せば、昭和60年のことだ。新風営法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)が施行され、それまで「ほとんどビョーキ」(山本晋也監督)だった歓楽街への規制が強まってきた時代である。業界は、あの手この手で法の網を逃れようともがいていた。ノーパンしゃぶしゃぶもその流れの中で“発明”されたといえるだろう。常連の間では「パンしゃぶ」とも呼ばれていた。

 アイデアといえば、食い倒れの街・大阪を忘れてはいけない。「ノーパンしゃぶしゃぶに負けるな」とばかりに、「食」と「エロ」を合体させた店があれやこれやと登場するのだ。「新商売と天気は西からやってくる」という言葉通りの展開である。

 たとえば、昭和62(1987)年には、トップレスの女性が給仕するラーメン店が大阪の下町にオープン。2年後、時代は平成になっていたが、同じくトップレスの女性が顧客対応をする牛丼店が新大阪駅の近くに登場した。「乳之屋」(もしくは乳乃屋、乳之家)という屋号だったという。たこ焼きをつまみながら、Tバックにエプロンだけの女性と会話できる店も、お尻を出したウェートレスがハンバーガーを運ぶ店もあった。

 まさに百花繚乱。それぞれの店が豊かな発想力を事業化し、個性的な店を展開した。「ヌキ」は基本的になかった。これらを性風俗店と呼ぶべきか、飲食店と呼ぶべきか悩んでしまうが、「グルメ風俗」というジャンルなのだそうだ。

 ノーパン牛丼店に行ったことがある知人は言う。

「つゆを多めにする『つゆだく』が好きやったな。つゆ? 変なこと想像したらあかんがな」

 フーゾクと言えば、どこか暗いムードがつきまとうが、底抜けに明るく、笑ってしまう。

 よくよく考えてみると、大阪はあの「あべのスキャンダル」発祥の地である。前貼りだけの大胆な格好の女性がいたり、下着の競り市を開催したりとさまざまな企画を打ち出し、まさに「なんでもありの世界」を再現した店だった。月に200万円を稼ぐ女性もいたという。もう、欲望全開である。そのハチャメチャぶりをメディアがはやし立てる。パンツを脱いだ女性の中には、「もっとお金がほしい」とさらにハードな風俗の世界へ向かった人もいた。

 金銭は人間を狂わせる。

 ノーパンしゃぶしゃぶにはまってしまった霞が関の高級官僚は、役所でストレスをため込んでいたのだろうか。単なるムッツリスケベだったのだろうか。スケベなのはいい。問題は接待を受けたことだ。権力を振りかざし、自分の行きたい店を指定し、会計もすべて任せていた。下品というより、品性下劣と言うべきである。

 平成ももう終わる。ノーパン喫茶やノーパンしゃぶしゃぶに匹敵するような、あっと驚く性風俗がこの先も登場するのだろうか。

週刊朝日  2019年3月15日号


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